第1回 捨てる勇気
身長176cm体重76kg、プロ野球の中では小柄な選手が大リーグ記録を破り世界一になった。
川相昌弘38歳。エースで甲子園出場、投手として巨人入団後も内野手転向、スイッチヒッター挑戦など苦闘が続いた。現役生活は、巨人では王貞治氏(現ダイエー監督)の22年間に次ぐ長寿記録でもある。
野球選手なら、誰しもホームランに憧れ、またイチローや松井のように活躍したい。しかし彼が自分の体を考え、プロで生き抜く為、究極的に選択したものは「犠牲」になり続ける事だった。ギネスにも載るこの「犠打世界記録」は、今の"中小企業再生"において、我々に何かを語ってくれているのではないか?過去のヒット商品や成功体験に固執し、なかなか業績が伸びない。自社の本当の強みを知り、そこに経営資源を絞り込み生かし切る戦略や覚悟がない。
今こそ、決して競合しない、また誰にも真似することの出来ない付加価値の高いオンリーワン領域を目指すべきではないか。
【何かに徹する為には、何かを捨てなければならない】
「次に生まれて来たら必ず投手になる」と云う彼が、野球の華"本塁打"の対極にある、この地味な領域に挑んだ勇気は、王の本塁打世界記録と共に並び称される。
打者は10回の内3回安打すれば評価されるが、バントは絶対を求められる。彼の犠打成功率は驚異の90.7%。「手習いは坂に車を押すがごとし」(休んだり油断すると坂道を滑り落ちる。日々の研鑚が大切。)彼が父親から繰り返し、教えられた言葉だ。彼はそれを守りプロ入り以来21年間、毎日寝る前欠かさずノートを記した。そこには対戦データ、全投球の詳細等が書き留められ、自身に対する叱咤激励も綴られているという。
記録達成後「自分を捨てるのが仕事だが、誇りは捨てていない」と言い切った。川相のバントのおかげで何人ものヒーローが誕生した事だろう。黒子に徹した日陰の記録は伝説となった。川相の先にも後にも「川相なし」。私はこう呼ばれる企業を目指したい。
ぐんま経済新聞 「東毛エッセイ」 平成15年10月9日より転載