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年に1~2回でしょうか、行き先を決めない旅に出かけます。自称『ぶらり一人旅』。
旅と云えるものかどうかは分かりませんが、行き先未定、予約無し、の出発です。その日の気分と云うと語弊があるやもしれませんが、行きたい時に行く。
最近では家族も慣れたもので、『いってらっしゃい』の一言のみ。
右に曲がるか左に行くか、田舎に行くか都会にするか、山か海か・・・その時の自分の思うままに走り続けます。真夜中の林道や峠道では「ここでエンストかパンクでもしたら厄介だ」などと思いつつ、ライトを切った瞬間の、音の無い世界と山の稜線の向こうに展開してくる紫紺の星空には何か神聖なものを感じます。
人は日常の中で色々な“自分圏”を創り出しています。“自分圏”の基本は家族、そして仲間、知り合い、幼なじみ、恋人、親戚、隣人・・・。仕事関係ならお客様、取引先、上司、同僚、後輩、ブレーン・・・。また、警察署、救急病院、消防署に至るまで、人は“自分圏内”で常に守られています。
経営コンサルタントで、ある上場企業の取締役が、超多忙の中、毎年1週間必ずアラスカへ行き、立ち上がると4mにもなる熊を6年間追い、2~3mの距離で写真を撮り続けている。
その人曰く「私も先生、先生と呼ばれ、時には自分を見失ってしまう事があります。時折、『畏れ』を抱く存在に対峙し、自分を戒めるのです。」 年・月・週・毎日のスケジュールや期日から飛び出し、“自分圏”を遮断した旅の家路は、いつもと同じ道なのに何故か違う風景に映ってくる。家の前に転がっている子供のサッカーボール、玄関を開けた時の味噌汁の匂い、普段当たり前に日常景となってしまっているこのひとつひとつの存在に、喜びと微笑みを抱く。
他の誰でもない自分自身を改めて見つめ直すこの旅は、つまらない見栄や意地、そして観念や立場に捕らわれがちな日々を気付かせてくれる。
そして、今、生きている事、仲間と共に果たすべき使命に挑める事に、けっして大袈裟ではなく心から畏敬の念を感じる。
ぐんま経済新聞 「東毛エッセイ」 平成17年2月25日より転載