「桐生の職人さん」中断のお知らせ(下)

話は変わります。桐生は極端なほど分業化が進んだ織物の町です。大企業は自社工場に染色から織りまでの一貫生産体制を築いてコストダウンを図ります。桐生にもかつて、一貫生産の大企業を作ろうという試みはありました。結局うまく行かず、近代化の波に乗ることができないままいまに至っています。
大工場がうまく行かなかったのは手を組んだ相手の裏切りなど様々な原因があったようですが、その1つに

「一国一城の主にならねば男ではない!」

という桐生気質があるような気がします。どこかに勤めて布の生産に関わるよりも、技を覚えたら独立して自分の会社を持つことが当たり前のように続けられてきたのが桐生です。そんな桐生は

「石を投げれば社長さんに当たる」

町です。
結果として中小零細企業の集まりとなった桐生を、時代に取り残された町と切って捨てることもできます。
しかし、近代化に乗り遅れることはマイナス面だけしかないのでしょうか?

一貫生産の大工場では、職人さんは企業の歯車のひとつです。年々革新される生産技術を活かして合理化は進むでしょうが、「技」への執着は減るのではないか。決まり切ったことを日々こなせば毎月決まった額の給与を得て暮らしていける。自分の技をもっと磨こうという思いは、ともすれば薄くならざるを得ないのではないでしょうか。

分業化が極端にまで進んだ桐生では、1人1人の職人さんには近代技術を取り入れる資金のゆとりがありません。自分の腕、技だけが頼りです。少しでも手を抜けば取引先を失うでしょう。いや、手を抜かないだけでなく、受け継いだ技を守り、それに工夫を加えて技を磨き上げなければ競争からはじき出されてしまう厳しい環境で仕事を続けてきました。他より一歩でも先に出なければ経営が、暮らしが続けられないのです。こうして桐生で生き残っている職人さんは技を磨き続けた結果、桐生はあらゆる繊維の技が生き残っている世界でも希有な町になったのだと思います。桐生は繊維の技の宝庫です。

しかし、それだけでいいのか。筆者の目に桐生は過渡期にあるように見えます。自分の技さえ磨けば生き残ることができる時代は終わりつつあるのではないか。当初は賃金の安さだけで日本の繊維産業から仕事を奪ったアジア諸国も、いまや技術も相当向上したと聞きます。このままでは桐生の仕事が減り、職人さんたちは廃業を迫られ、大切な技が途絶えてしまうのではないか。

「『桐生の職人さん』読んでますよ」

とい言ってくださった桐生の方がいました。取材対象にはしなかった繊維関係の方です。次に出て来た言葉に考えさせられました。

「でも、読めば読むほど寂しくなるんです」

寂しくなる? そんな原稿を書いた覚えはありません。何故です?

「高齢の方ばかり出て来るじゃないですか。若い人の姿がない。このままでは技が途絶えてしまいます」

いわれてみればその通りです。それはもったいない、いや、それを許してしまうのは日本にとって損失だ、と筆者は思います。
では、どうすればいいのか? 取材しながら、何度も考えました。技はある。足りないのは何か?

「生きている技の活用法を考え、技と技との組み合わせ方を考えて新しいものを創り出すコーディネーターではないか?」

筆者が到達した仮説です。
しかしいま、日本の繊維産業は衰退期にあるといいます。力のあるコーディネーターは払底しているのかもしれません。とすれば、桐生の繊維産業に携わる方々が自力で未来を切り拓くしかありません。そのためには井の中の蛙になって葦の髄から天井を覗く生き方を変えなければなりません。仕事、業種を超えた幅広い人脈を作り、議論をし、アイデアを出し合い、自分たちの進む道を見出さなければなりません。

広く世界を見渡せば、すでに、織物、編み物、刺繍をセンサーにし、医療現場で活用する試みが始まっています。遺伝子を操作して蚕に蜘蛛の糸を吐かせる技術も日本にあります。第5世代移動通信システム(5G)の基地局では、ノイズを避けるため銅繊維が使われているとも聞きました。

織物、編み物という限られた世界に閉じこもることなく、他の業種とのWIN—WINの関係を築き上げる。そのために幅広いネットワークを作り、織物、編み物を活用できる分野を見つける。これからはそんな時代なのではないでしょうか。そうしなければ、桐生の技は途絶えてしまうのではないでしょうか。
「技」は、一度途絶えると、復元は不可能とまではいわないものの、極めて難しいことです。

桐生に生き続ける繊維の技は無形の産業資産です。ほかの何かと組み合わせて磨けば、光り輝く宝石なる原石です。
その磨き方を生み出し、原石を輝く宝石にする。そんな試みが始まるのを筆者は心待ちにしています。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です