【第1期黄金時代】
もちろん、英国直輸入の生地にスライバーを乗せる加工もやった。だが、新しく生み出した技もある。複数枚の生地を重ね、ニードルパンチ加工をするのである。重ねる生地によって、ニードルパンチをする速度によって、生地は
「お前にはそんな表情が隠れていたのか!」
といいたくなるほど、違った姿を見せた。ニードルロッカーの担当作業員、企画会社の担当者と機械に張りつく日々が続いた。東京・恵比須でニードルパンチ作品だけを集めた初の展示会を開いたのは、それから1年足らず後のことだ。
「恵比須で感動的な個展をやってるから見ておいで、といわれてきました」
駆け出しのデザイナーだと自称する男性が会場で声をかけてきた。聞けば、推してくれたのは誰でも名前は知っている有名デザイナーだった。反響は想像以上だった。
澤さんは初めて、仕事が面白いと心から感じた。
名だたるデザイナーに営業攻勢をかけ始めたのはそれからのことである。澤さんの直感は間違っていなかった。大御所と呼んでもいいほどのデザイナーたちが、ニードルロッカーが産み出す新しい世界に次々と関心を示したのだ。
パリ・コレクションは、世界のファッションを牽引するデザイナーたちが最先端の美を競う場である。その年、次々と舞台を練り歩くモデルが身にまとう斬新な服に観衆は目を奪われたのではなかったか。三宅一生さんがモデル全員にニードルパンチ加工した生地で仕立てた服を着せたのである。
「1990年代の後半ことだったと記憶しています。
三宅さんの生地担当アシスタントと、それこそ顔を突き合わせるようにしながら
「ああでもない、こうでもない」
と試作を繰り返した成果が、花の都、パリでデビューしたのである。
「まさかパリまでは行けませんでしたが、後でパリコレを収録したビデオを見せてもらいました。涙が出ましたよ。だって、ショーのフィナーレで、美しいモデルさんが全員ですよ。私たちがニードルパンチ加工をした服を着て舞台にずらりと並んだんですから」
会社の幹部も大喜びをしたのはいうまでもない。
ニードルパンチ加工を始めてわずか数年。この時期を、澤さんは
「ニードルパンチの第1期黄金時代」
と呼ぶ。
それは、服をより優美にし、沢山の表情を持たせる技として、ニードルパンチ加工が確かな市民権を確立した時期だった。
写真:ニードルパンチ加工をした服のあれこれ。それぞれに違った表情が面白い。