ここまで話を聞いて、1つの疑問が湧き上がった。みんなが同じソフトを使い、コンピューターがすべてやってくれるのなら、何処に頼もうと仕上がりは同じになるのではないか?
「直線部分はそうかもしれません。個性が出るのは曲線です。どこに針を落とし、そこからどの方向に、どれほどの距離糸を飛ばして曲線を描くかは人それぞれで、それで刺繍の仕上がりが全く違ってきます」
【117クーペ】
曲線の作り方で刺繍の仕上がりが全く変わる。それが決め手だとすれば、近藤さんはどんな曲線を生み出そうとしているのだろう。
「私ね、117クーペの曲線が大好きなんです」
117クーペは1968年、いすゞ自動車が生産を始めた乗用車である。イオタリアを代表する工業デザイナー、ジウジアーロがデザインした。その流麗な姿は美しく、いまでもその優美なフォルムを賞賛する人が絶えない。
「まだ修行中のころ知人にこの車を教えられ、一目で大好きになりました。当時、先輩から『お前のラインは汚い』といわれていたこともあったんでしょう。ああ、こんな微妙な、柔らかい曲線が出せたらと憧れました」
以来、近藤さんは曲線と闘ってきた。独立し、若い見習職人を使うようになると、
「なあ、女の子の裸体、綺麗だろう? ウエストからヒップにかけてのなめらかな曲線はどうしようもなく美しい。刺繍であの曲線が出せればいいんだよ」
と教え、自分でも美しい曲線に挑み続けた。試し縫いで思った曲線が出ないと、いまでもパンチングをやり直す。
憧れの117クーペ。
「あの車は随分高かった。何とか手に入れたかったけど、とうとう高嶺の花で乗ったことはありません。そういえば、私のパンチングも、あの車の曲線の域にはなかなか届きませんねえ」
近藤さんは今日も117クーペの曲線に挑み続ける。
写真:コンピューターに向かってパンチング作業をすル近藤さん
1件のコメント