その1 旅立ち

松井ニット技研のデザインについて書きたい。

といっても、筆者は芸術や美学には全く縁がない野暮天である。絵画を中心とする芸術の歴史や色彩理論の流れなど全くわきまえない全くの素人にすぎない。それでも、松井ニットのマフラーからあふれ出す美しさのルーツを探ってみたいという誘惑に勝てない。松井ニットのデザインを愛でているだけでは、何かとても大事なものをどこかに置き去りにしているような気がして仕方がない。

お目にかかった日からずっとそんな気がしていて、ある日、智司社長に尋ねてみた。

「どうやったら、あんなマフラーのデザインができるんですか?」

少しばかりキョトンとしたような表情で智司社長は答えてくれた。

「いわれてみれば、どうやってるんですかねえ。私にもよく分かりません」

松井ニットの主力商品である「毛混リブマフラー」を、智司社長は染色済みのアクリル糸を使ってデザインする。使える色は180色である。この中から、おおむね8色位を選んで組み合わせる。

「いろんな色の糸をねえ、こう並べてみるんですよ。この色の隣にはどの色を持ってきたらいいか、って何度も並べ直すんですが」

たった180色と思われるかも知れないが、180色から8色の選び方は

1808=(180×179×178×177×176×175×174×173)÷(2×3×4×5×6×7×8)

=941163059102112000÷40320

=23342337775350通り。

何と23兆通り以上もある。

それに、その8色をどう並べるのか、シンメトリー(左右対称)にするのか、それともどこかでシンメトリーを破るのか、それを含めれば、数はさらに膨大になる。

こんな膨大な可能性の中からたった一つだけを選び出して組み合わせ、あなたが楽しんでいらっしゃる松井ニットのマフラーのデザインができている。

——それにしても、ただ漫然と並べるわけではないでしょう?

「それは、次のシーズンにはこんな色が流行しそうだとか、来年はこんな年になりそうだから、どんな雰囲気に仕上げるか、などと考えたりはします。でも、最終的には並べてみないことには分からないんですよ」

——並べるときに注意することは?

「例えば、テーマにする色を一つ選びますよね。次に考えるのは、この隣にどんな色を持ってきたら合うだろうか、ということです。例えばブルーの隣を黄色にしようと思います。でも、黄色といったっていろいろあります。華やかな黄色がいいのか、くすんだような黄色にするか、それとも薄い黄色を組み合わせるか。並べながら考えるわけです」

——並べてみたところで、最終的には「これだ!」と決めなければなりません。その決め手になるのは何ですか?

「うーん」

と考え込んだ智司社長は、やがてこういった。

「甘いものを知らない人には甘い食べ物を作れないように、その人の感性にないものはいくら真似をしても作れないんです。決め手は私が幼い頃から身につけてきた感性、としか表現のしようがないですね」

智司社長が幼い頃から育んできた感性。松井ニットのデザインのルーツを知るには、智司社長の人生を辿らねばならない。

次回から、智司社長と一緒にタイムスリップの旅に出る。長い旅になるだろう。あなたにも旅のお供をお願いしたい。

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