その10  ワシリー・カンディンスキー

桐生市在住の世界的テキスタイルデザイナーで、英国王室芸術協会名誉会員、英国王立芸術大学院名誉博士でもあった故・新井淳一氏は生前、松井ニット技研の色の使い方を称して

「松井さんは日本のミッソーニですよ」

と筆者に語った。しかし、この時の智司社長は、自分のデザインが後に「日本のミッソーニ」と表現されることになることなど、想像したこともなかった。若いデザイナーの挑戦を何とか支えてやりたい、と願っていただけである。

「ところで、ブランド名は決めました?」

「いろいろ考えたんですが、Knitting Innにしようと思っています」

「いいですねえ。言葉の響きが何とも心地いい。ニットの宿ですか。素敵なブランド名です。頑張りましょう」

こうして、共同作業が始まった。デザイナーがデザインを起こし、松井ニットがマフラーや生地を作る。

このデザイナーが智司社長をフランスに誘ったのはそれから間もなくのことだった。

「一緒に行って下さい。松井さんに是非見ていただきたいところがあるのです」

彼が智司社長を伴ったのはパリ4区、セーヌ川のほとりに開館したばかりのポンピドーセンターである。彼は脇目もふらずある部屋を目指した。

「この部屋です。ワシリー・カンディンスキーの絵が集められているんです。松井さんに、是非彼の絵を見ていただきたかった」

ワシリー・カンディンスキー(1866—1944)はロシア出身の画家である。モスクワ大学で法律と政治経済を学んだ後、ミュンヘンで絵の勉強を始めて画家になり、20世紀初頭に抽象絵画の創始者になった。同時に美術理論家として芸術と職人技の融合を目指したといわれる。ロシアで革命が起きた後モスクワに戻り、レーニンに認められて政治委員を務めたが、スターリンの台頭を嫌ってドイツに戻った。しかし、台頭したヒトラーの圧迫を受けるようになり、フランスに移り住んだ。

「これ、この色使いなんです。ミッソーニはワシリー・カンディンスキーの絵からたくさん学んだに違いないと思うんですよね」  s

円、直線、曲線、そして黄色、緑、青、赤など多彩な形と色がキャンバスの上で踊り回っている。奔放にも見えるが、計算され尽くしているようでもある。何が描かれているかは分からないが、刺激的で、それなのにふんわり包まれるような暖かさを感じさせる。

色の魔術師といわれるミッソーニの原点。耳のそばを流れていくデザイナーの言葉をよそに、智司社長はすっかりワシリー・カンディンスキーの世界に魅せられていた。

写真・ポンピドゥ・センター

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