その14 そして、自立

松井ニット技研がA近代美術館から得たものはたくさんある。

まずは、安定した取引先として経営を支えてくれた。

美術館がマフラーの販売ルートになることを教えてくれた。A近代美術館に声をかけられていなかったら気がつきもせず、イギリスのコートールド美術館、スペインのプラド美術館などとの新しい取引が始まることはなかったろう。

A近代美術館と力を合わせて進めたマフラーのデザインで、色の使い方、組み合わせの勘所をつかむことができた。

A近代美術館のパンフレットに掲載され、一緒にデザインしたことが知る人ぞ知る噂となり、取引先の評価が格段に上がった。

自分たちのデザイン力が世界に通用することを確信させてくれたのも、対等のパートナーとしてマフラーデザインに参加させてくれたA近代美術館である。

そして、最後に与えてくれたのが、世界的に著名な建築家が選び抜いた色を使ってのマフラーデザインをすべ託されたという誇り、名誉だった。

A近代美術館との取引は2014年で突然終わった。彼女が購買担当から外れ、新しい担当者が松井ニットを取引先から外したからである。新しい担当者がなぜ松井ニットを切り捨てたのかは聞かないままだ。安定した取引先が一つなくなり、一時的に売り上げの減少にも見舞われた。
だがそれ以上に、懇意にしてきた、松井ニット技研をここまで育ててくれたパートナーから見捨てられたような寂しさの方が2人を落ち込ませた。

あれから5年(2019年現在)。幸い、A近代美術館に納めるマフラーとは別に立ち上げた自社ブランドのマフラーが年々売り上げを伸ばし、2年もすると売り上げは元に戻っていまでは当時を凌ぐ忙しさに追われている。プラド美術館を始めとする世界の美術館との取引も順調だ。
A近代美術館の力に支えられる松井ニット技研ではなく、自分の足で大地を踏みしめて立つ松井ニット技研に成長することが出来たのである。

だから、2人は心からの感謝をA近代美術館に捧げる。

「いまの松井ニットがあるのは、A近代美術館とのお付き合いがあったればこそ、です。足を向けては寝られません」

松井ニット技研を見いだしたA近代美術館の彼女が2016年12月1日、TBSの「朝ちゃん」で電話取材に応じていた。ボニー・マッケイという人である。
電話口で彼女はこう語っていた。

「初めて見たとき、素晴らしいと思いました。いままであんな綺麗なマフラーは見たことがなかったから。触ったときの感触も最高でした」

彼女が、いまの松井ニット技研の恩人である。

写真:NHK「イッピン」の取材を受けた際のものです。

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