当時、関西で松井ニット技研のマフラーを販売していたのは倉敷市の大原美術館だけである。だから、倉敷市に近くの方には大原美術館をご案内した。大原美術館から遠い客は住所、氏名、電話番号をメモして、代引きでの発送を約束した。
そんな騒ぎが1ヶ月ほども続いた。
騒ぎがやっと一段落し、やれやれと一服している間もなく、注文の大波が再びやって来た。今度は、同じ毎日放送が「ちちんぷいぷい」という番組に松井ニット技研のマフラーを登場させたのだという。毎日放送の誰かがよほど松井ニットのマフラーを気に入ってくれたらしい。
松井ニット技研は電話、Faxそれぞれ1回線だったのを、4回線、2回線に増やした。パソコンも1台増設した。第一波を上回る、そうでもしなければしのげないほどの大波だった。
当時を振り返って、敏夫専務はいう。
「一度ならず二度までも、何が起きたのかと、最初は信じられない気持ちでした。でも、テレビの影響力って本当に凄いんですね。おかげ会社全部が上を下への大騒ぎになりましたが、騒ぎながら、ああ、やっと私たちのマフラーが認知された、って飛び上がりたい気持ちが募ってきました」
松井ニット技研にとっては開闢以来の大騒ぎだから、失敗もあった。送り出したマフラーの何本かが届け先不明で送り返されてきたのである。調べると、電話で受けた注文の分ばかりだった。混乱の中で、手書きで住所、氏名などを書き取っていたため、どうやら書き間違えていたらしい。
「ヒヤッとしましたが、幸いお客様の電話番号も控えておいたので、こちらから電話を差し上げて住所、氏名を再確認し、最終的にはすべて確実に送り届けることができました」
だが、何故突然、何の働きかけもしていない関西を震源にこんな嬉しい騒ぎが起きたのか?
そのころから松井ニットは、数は多くなかったが全国紙の取材を受けるようになっていた。2001年から、ニューヨークのA 近代美術館で売り上げNo.1を続けるようになっていたのが記者たちの関心を引いたらしい。
全国紙に掲載されたニュースは全国に届く。
「毎日放送の方とお会いしたことはありませんし、電話での取材を受けたこともございません。うちのマフラーを巻いていただいていたタレントさんともお目にかかったことすらありません。多分、新聞の記事で当社のマフラーをお知りになったのではないでしょうか」
と智司社長は推察する。
松井ニットは、KNITTING INNは、経営する2人が気付かないうちに、知る人ぞ知るブランドに育っていた。