ロンドンのウエストミンスター地区、大英博物館や国会議事堂の近くにあるコートールド美術館が松井ニット技研のマフラーを販売し始めたのは、2010年8月のことである。
この年の初め、パリで開かれた家庭用品の見本市、「メゾン・エ・オブジェ」に松井ニット技研は出展していた。そのブースを訪れたコートールド美術館の総務部長が、並べられたカラフルなマフラーを見て惚れ込み、パンフレットを持ち帰った。美術館内で会議を開き、是非このマフラーを美術館で売ろうと決めた。ところが、どこに話を通せば仕入れが出来るのかがよく分からず、やむなく企画は棚上げされていた。
一方、松井ニット技研はイギリスでもマフラーを売りたいと考えていた。その手がかりとしてロンドンでの展示会に出展できないかと考えて現地の代理店と接触し、この代理店に現地での市場開拓も頼もうと「メゾン・エ・オブジェ」の来店客の名簿を渡した。
営業活動を始めた代理店は、間もなくコートールド美術館に行き着いた。まるで赤い糸で繋がっていたかのように、お互いの思いがピッタリ出会ったのである。話がトントン拍子に進んだのはいうまでもない。
コートールド美術館を1932年に設立したサミュエル・コートールドは、家業として受け継いだ絹織物業を国際企業へと育て上げた英国実業界の実力者である。それだけでなく、長い間印象派の絵画にそっぽを向き続けた英国で、早くから積極的にフランス印象派の絵画を収集したコレクターでもあった。
松井ニット技研がある桐生市は絹織物で栄えた街である。また、智司社長、敏夫専務の2人は、若い頃から印象派の絵画に強く惹きつけられていた。
話が出来すぎているようだが、松井ニットとコートールド美術館は、結びつくべくして結びついた、と考えると、筆者は何だか楽しくなる。
美術館側が示した条件は破格だった。ニューヨークのA近代美術館はあくまで「A近代美術館」ブランドで売ることを譲らなかった。ところがコートールド美術館は
「こだわりません。『KNITTING INN』で構いませんよ」
とこともなげに松井ニット技研の願いを受け入れた。
しかも、マフラーだけでなくニットの帽子、手袋も合わせて230点、それも委託販売(店頭に並べ、売れた分だけの支払いをする)ではなく、美術館がまるまる買い取って販売するという。松井ニット技研のデザインへの惚れ込み方は尋常ではなかった。
「コートールド美術館の前には大きな池があり、冬場はスケート場になるそうです。松井ニットのマフラーを巻いたイギリスの若者がこの池で滑っている光景を考えると、ワクワクするんです」
契約の後、敏夫専務は嬉しそうに語っていた。
松井ニット技研はこうして、アメリカ、日本国内に次いで、ヨーロッパでも「美術館」というニッチな市場をの開拓を始めた。
写真:コートールド美術館。ウィキペディアより。