敏夫専務は子どもの頃から絵が好きだった。好きなだけでなく得意でもあり、小中学生の頃は群馬県内の様々なコンテストでいくつもの賞を取った。一時は
「画家になろうかな」
と夢見たこともある。
画家を断念してビジネスの道に進んだ後も、絵画、中でも印象派の絵画が好きで、時間を見繕って遠くスペインまで足を伸ばし、プラド美術館には3度訪れたことがあった。プラド美術館はあこがれの場所だったのだ。
だからだろう。A近代美術館との取引が松井ニット技研を脱皮させ、マフラーメーカーとしての自信が深まるにつれて、
「あのプラド美術館にも松井ニット技研のマフラーを置いてみたい」
と何度考えたことか。
だが、A美術館は向こうが松井ニット技研を見いだしてくれたから始まった縁だった。プラド美術館はまだ、松井ニット技研というマフラーメーカーのことは全く知らないはずだ。どうやって我々の存在を知ってもらったらいいだろう?
これまではそのきっかけすらつかめなかった。だがいま、チャンスが目の間に「立って」いるのではないか? あの人たちがプラド美術館のバイヤーだって!
「私、京都外国語大学を出ています。スペイン語を専攻したので、会話程度だったら出来るんですよね」
敏夫専務の決断は早かった。マドリードからパリまで、プラド美術館のバイヤーがわざわざ来てくれている。これは神が私たちに用意してくれた絶好の機会に違いない。でも、じっとしていたらチャンスは松井ニット技研のブースを通り越してしまうかも知れない。これを掴まなくてどうする!
そう思った時はすでに歩き始めていた。真っ直ぐ2人のところまで進むと、口を開いた。
「Buenas tardes(ブエナス・タルデス=Good afternoon、こんにちは)」
振り向いてくれた2人に、敏夫専務は言葉を重ねた。
「私どもは日本の松井ニット技研と申します。このカタログに載せているようなマフラーを製造する会社です。私たちのデザインは美術関係の方々に高く評価されており、ニューヨークのA近代美術館のショップでは5年連続して売り上げ1位を続けています。よろしかったら私どものブースをご覧いただけませんか? 私どものマフラーは編み方にも特徴があります。是非手にとって見てください」
これがプラド美術館とのfirst contactだった。
これも、A近代美術館との契約違反である。敏夫専務は契約無視の常習犯となった。しかし、その罪はすでに叱責を受けたことで消えているのではないか?
いずれにしても、これはやはり神が用意したチャンスだったらしい。その時、何かが始まったのである。
写真:プラド美術館