その21  浮世絵展

プラド美術館は、群馬県桐生市にあるちっちゃなマフラーメーカー、松井ニット技研が創り出したデザインのマフラーに心から満足したようである。

「海外のバイヤーは、まず相手を疑ってかかるのが常識です。だから、注文は少量から始まります。最初の取引で500本を2組、合計1000本などというのは、私が知る限り異例です」

と敏夫専務が語るのもそれを伺わせる。

翌2012年には、さらなる驚きがやってきた。1月、パリの「メゾン・エ・オブジェ」会場を訪れたクリスティーナさんが、ショールの製作を頼んできたのだ。前年つくったマフラーによほど満足していなければあり得ないことである。

話はこうだった。

その年の6月12日から10月6日まで、日本とスペインの交流400年を記念して日本の浮世絵展を開く。ついては、この企画展に出す浮世絵をイメージしたコットンのストールを2種類作ってもらいたい。

クリスティーナさんは27枚の浮世絵のコピーを持参していた。このうちの2枚を松井ニット技研で選び、そのイメージを写し取ったショールが欲しいという。

2人が27枚から選び出したのは、歌川豊国の美人図と、五粽亭広貞の「中村歌右衛門の工藤祐経」だった。27枚を入念に見比べてこの2枚に決めたのは色使いのあでやかさが決め手だった。

智司社長は早速デザインにかかり、2月下旬、今回は試作品を携えてプラド美術館を訪れた。担当者を前に試作品を取り出すと、

「この工藤祐経のショールに使ってある色は、もとの浮世絵の色と違うではないか」

とクレームがついた。智司社長の計算通りである。こんなクレームがつくことを織り込んで、元の絵とは違う色を選んでいたからだ。

早速説明を始めた。

2枚の浮世絵は摺(す)られてから時代がたっており、色が褪せている。五粽亭広貞がこの浮世絵を描いた頃、舞台を照らす灯りはロウソクしかなかった。工藤祐経は当時の役者である。着ていた衣装がいま目の前の浮世絵にある色だとしたら、ロウソクの照明で照らされた舞台で色が映えるはずがない。ロウソク照明の舞台で映えない色を舞台関係者が使うはずはなく、浮世絵の色も舞台衣装の色を写したはずだから、手元にある浮世絵の褪せた色とは違っているはずだ。中村歌右衛門の袴の茶は日本でいう「団十郎茶」、着物の青は「納戸色」、美人の服の紫は「京紫」でなければならない。

「いま手元にある浮世絵の色に忠実ではないかも知れません。でも、私の感性を通した日本の色を使いたいのです」

写真:プラド美術館での智司社長。

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