話を元に戻そう。
パリを出た智司社長とデザイナーはコルシカ島に向かった。そこからニース、マルセイユと足を伸ばし、イタリアに入ってピサ、フィレンツェ、ローマ、ミラノと歩いた。デザイナーはミラノで
「私、これからちょっと用事がありますので、ここで」
と一人で次の目的地に向かった。一人になった智司社長は、再びパリに足を向けた。
これが初めてのヨーロッパ旅行である。パリはあこがれの街だった。足繁く松井ニット技研を訪れていたデザイナーたちの話には、必ずといっていいほどパリコレクションの話が出る。
「今年のパリコレはさ、○○のドレスがとても素晴らしくて……」
「パリコレに行ったら、シャンゼリゼは欠かせないよね。今年もね……」
行ってみたかった。パリのオシャレな雰囲気、芸術の空気の中に自分を置いてみたかった。でも、フランス語……。
行きたいという思いは募っても、とてつもなく遠いところだった。
しかし、英語とフランス語を自在に操るデザイナーと過ごしたパリとイタリアの旅は、智司社長に自信を与えていた。列車の乗り方は分かったし、ホテルの使い方も身についた。あとは片言の現地語さえ覚えればヨーロッパ旅行も怖くないじゃないか!
一人で旅を続けた。
「だから、あれをきっかけに何度もヨーロッパに出かけました」
この旅で、智司社長はもう一つ大事な体験をした。場所はフィレンツェ、時期は9月である。夏の名残を引きずりながら、やっと秋が訪れようかという季節だった。
「まだ半袖でもいいかなという気候でした。暑いんです。それなのに、カーキ色のロングコートを着込んで、それに真っ赤なマフラーを巻いている男の人がたくさん歩いている。何事だ、と驚きましてね」
当時の日本ではまだ、男は質実剛健であるべきだという風潮が強かった。オシャレは女性の専売特許である。オシャレをする男なんて女が腐ったようなものではないか。
女性の方々、申し訳ありません。当時はこのような表現がまかり通っていたのです。
子どもの頃から最高級品ばかり身につけさせられていた智司社長も、そう考える日本男児の一人だった。高級品を身につけるのと、チャラチャラしたオシャレをするのは似て非なるものである、と思い込んでいた。
「ところが、ここの男たちはまだこんなに暑いのに、季節を先取りして秋のファッションで身を包んでいる。コートだけならまだしも、首にマフラーを巻いて、マフラーの先っぽを地面を引きずりそうにしながら歩いているんです。そして、いかにもオシャレにレイアウトされた洋品店のウインドウをジッと見つめている。フィレンツェでは、男もファッションに関心が強いのか。これもカルチャーショックでした」
松井ニット技研はマフラーメーカーである。様々思いが駆け巡った。
マフラーとはそもそも防寒具である。それをこんな季節に使うか?
マフラーの先っぽが地面を引きずるような長いマフラーがなぜ必要なのか?
そもそも、男が真っ赤なマフラーを巻くか?
日本男児が守り続けてきた価値観が否定されたように感じた。だが、決して不快ではなかった。
「そうか、フィレンツェでは男もおしゃれを楽しむのだ。マフラーはオシャレの小道具の一つなんだ」
マフラーメーカーを率いる身として、窓が一つ開き、明るい陽光が差し込んできたように感じたのである。
写真:松井社長がイタリアで買ったマフラーの1本。真っ赤で、引きずるように長い。