日本のデザイナーたちからの仕事受けるようになって、松井ニット技研もオシャレっぽいマフラーの製造を始めてはいた。だが、マフラーは先に染めた糸を使って編む。編んだあとで染めるのならたくさんの色が使えるが、先染めでたくさんの色を使うのは編む工程が複雑になりすぎる。だから、オシャレっぽいとはいいながら、ほとんどは単色のマフラーだった。使ってもせいぜい5色である。
しかし、フィレンツェでオシャレを楽しんでいるらしい男性たちがのぞき込んでいるウインドウには、たくさんの色を使ったマフラーがいくつも並んでいる。綺麗だ。
面白い。いずれ松井ニット技研もこんなマフラーを編むことになるのではないか。そんな予感を持ちながら智司社長はドアを開けて店内に入ると、
・全体の雰囲気
・色柄
・風合い
・糸の使い方
・サイズ
・編み方
など参考になりそうなマフラーを10本前後購入した。
フィレンツェを出てミラノ、ローマを歩くと、智司社長の買い物は本格化する。目に着いたマフラーを片っ端から買ったのだ。ローマを出るときには、スーツケースがマフラーであふれかえっていた。
この旅で智司社長はいくつかのことを学んだという。
当時の日本のマフラーには楽しさが足りなかった。真知子巻きを例外とすれば、日本のマフラーは二重に折って首にかけ、前でクロスさせてその上から服を着るものだった。もっぱら首筋を寒気から守るもので、見せるものではなかった。だから色柄も地味だった。
しかしイタリアでは、マフラーは衣服の外に出して見せるものだった。だから明るい色が使われ、色数も多い。それにしても、男性用の真っ赤なマフラーとは!
日本のマフラーに足りないもの、それは「楽しさ」だった。
イタリアの洋品店のウインドウにも感心した。セーターやマフラー、傘などがみごとにコーディネートされ、ウインドウが一つのファッションの提案になっている。見ていて心が浮き立つ。フィレンツェでたくさんの男性がウインドウに見入っていたのもそのためだろう。
智司社長がミッソーニに出会ったのはミラノだった。そのブティックに並んでいる商品群に思わず目を奪われた。使われている色が実に綺麗である。それにミッソーニ独自の多色使いはみごとだ。色と色が喧嘩することなく、一つの世界をつくりだしている。
「思わず手を伸ばして買おうとしました。ところが、高い! マフラー1本が、当時の日本円に換算すると数万円もするんです。とても買えないと諦めました」
そのブティックに中年の婦人が入ってきた。何を買うんだろうと見ていると、やがて頭のてっぺんから足のつま先まで、その店で買ったミッソーニで身を固めて現れた。そして優雅にドアを開けると、歩き去った。
「いったいいくらの買い物をしたんだ!」
唖然としながら、
「でも、沢山の色が使われているのに、みごとにバランスが取れていてファッショナブルなんですよ。さすがにミッソーニです」
初めてのヨーロッパ旅行で智司社長は、ワシリー・カンディンスキーとミッソーニに出会った。後の智司社長から顧みれば、運命的な出会いだった。
だが、この時の智司社長はまだ、自分が多色のマフラーをデザインすることになるとは考えてもいなかった。イタリアのマフラーを買い集めたのは、あくまでマフラーメーカーとしての技術を高める参考資料としてでしかなかった。
写真:松井智司社長がイタリアで買い集めたマフラーの一部。いまでも大事に保存している。