その27 UNTHINK

桐生に「UNTHINK」という勉強会が出来たのは、1995年のことである。立ち上げたのは黒沢レース(太田市)を率いた故黒沢岩雄さんだ。

この年、桐生市にある群馬県繊維工業試験場の親睦団体である群馬県繊維工業技術振興会の会長に黒沢さんが就任した。親睦団体だから、折に触れて講演会を開くのが主な活動だった。黒沢さんは前向きな経営者だった。

「俺は何かをする会長になりたい。何かいい考えはないか」

と声をかけられたのが、日頃から可愛がられていた智司社長だった。黒沢さんに

「松井君なら何かやってくれる」

と期待されていたのだろう。であれば、応えなければならない。

「こういうのはどうでしょう? 繊維の世界は縦系列ばかりです。機屋は編み屋のことを知らず、編み屋は刺繍屋のことを知りません。ちっぽけな世界で動き回って視野狭窄になっているような気がします。でも、この世界にも元気な若者はいます。編み物には経(た)て編みと緯(よこ)編みがあるように、そんな若者を縦だけではなく、業種の垣根を越えて横に繋げば、もっと業界全体が盛り上がるのではないでしょうか?」

二つ返事で採用された。機屋が編み物の技術を知る。編み屋は機屋の考え方を知る。それに刺繍、縫製などが加わって知恵を出し合えば、これまでになかった製品を生み出せるかも知れない。若い力で桐生の繊維産業を再興する!

「やってみろ」

これは、と思う若手に声をかけた。刺繍の笠盛、買い継ぎの丸中、和装小物メーカーの佐啓産業……。たちまち10数人が集まり、「UNTHINK」が生まれた。集まれば、まず飲み会である。だが、飲んでいるだけでは繊維産業の再興は出来ない。

県の助成金を得て、毎月1回例会を開いて講師を呼んで勉強を始めた。最初は、西武百貨店の婦人服部長などを歴任、後に独立してファッション業界に重きをなした三島彰さんだった。

2回目の例会に招いたのが、「ニットの神様」ともいわれた桑田路子さんである。森山亮さんが

「是非話を聞いた方がいい」

と紹介してくれた。

ニット、つまり編み物は智司社長の世界である。講演を二つ返事で引き受けてもらったあとは、ワクワクしながら例会を待った。

約1時間の講演はとても参考になった。中でも次の一言が頭にこびりついて忘れられなくなった。

「これからの時代、『多い』をキーワードに考えていくと面白くなるだろうと思っています」

なぜか、その言葉がストンと胸に落ちたのだ。

そういえば、私は「多い」に囲まれてこれまで生きてきた。子どもの頃大好きだった和服は様々な色の集まりだし、どんな色を使うかは画家の生命線の一つだ。高校生で惹きつけられた印象派の絵画も多彩な色彩が使われていたし、いまだに脳裏にこびりついているワシリー・カンディンスキーは色彩の魔術師ではないか。そして、ヨーガン・レールさんの求めに応じて、ラッセル機で多色の生地を編んだこともある……。
智司社長は新しい事業構想を考え始めた。

「多い、をキーワードにすると、多色、多重、多様、他面などいろんな言葉が生まれます。松井ニットのマフラーは、多色はもちろんですが、リブ編みで編むと組織が二重になっているので多重になり、男性にも女性にも使っていただけるジェンダーフリーという多様性もあります。リブ織りの畝は立体構造ですから多面ということにもなるんです」

智司社長は

「私は、何だか50代ですべてが始まったような気がしてるんですね」

という。半世紀にわたる様々な蓄積が混ぜ合わされ、やっと智司社長の中で熟成し始めたのがこの頃なのだ。

それから数年後、松井ニット技研はニューヨークのA近代美術館に見いだされた。間もなく独自ブランド「KNITTING INN」が生まれ、多くのファンの心を掴んでいるのはご存じの通りである。

写真:前列右端が故黒沢岩雄さん(黒沢レースにお借りしました)。

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