智司社長の奥さんが入れたお茶を前に、訪れた3人の話はA近代美術館の説明から始まった。智司社長、敏夫専務の記憶によると、こんな話だった。
1929年に開館したA近代美術館は、近代芸術を世界中から幅広く集めて展示しています。「美」を生み出すのは、芸術家と呼ばれている人たちだけではない、と私たちは早くから考えました。その方針に従い、それまで美術館が収蔵するものとは考えられていなかった建築、ポスター、写真、映画などの収集も進め、企画展示や上映会を続けてきています。
「美」は世界中で日常的に創り出されていて、その中に商品デザインがあります。日用品として多くの陳列棚に並んでいる商品にもハッと目を引かれてしまう美しいものがたくさんあります。デザイナーが自分の美意識を精一杯注ぎ込んだ、近代美術と呼んでも何の違和感もないものが存在しているのです。こうした「美」が私たちの暮らしの中に溢れ、溶け込むようになれば、私たちの暮らしはもっと豊かで楽しいものになるはずです。A近代美術館はそう考え、世界中の商品から、これは近代美術であると私たちが選び出したものを美術館独自の販売店で販売し、近代美術の普及に努めています。私は、その部門の購買担当なのです。
そこまでの説明を終えると、彼女の目が2人に向いた。
「東京での展示会で松井ニット技研のマフラーを見せてもらいました。Wonderful! とても素晴らしい。私は一目で惹きつけられました。松井ニットのマフラーは美術品です。私たちはこのマフラーを私たちの販売店で扱いたいと思います。そこで、なのですが、A近代美術館ブランドのマフラーを作っていただけませんか? 今日はそのお願いをするために桐生までやってきました」
通訳を通じて話を聞いた2人は虚を突かれた。マフラーを美術館で売る、だって?
マフラーは寒さを防ぐ実用品である。壁や棚に飾ったり、時折取り出して鑑賞したりする美術品、装飾品ではない。オシャレな、思わず手に取って首の回りを飾りたくなるマフラーを生み出したいとデザインや製造に力を入れてきたことは確かだ。しかし、実用品であるマフラーの売り場はデパートや衣料品店にしかないだろう、としか考えてこなかった。
美術館でマフラーを売る、だって? マフラーにそんな販売ルートがあるのか? 考えたこともない。
写真:松井ニット技研の座敷。