はじめに

「松井ニット物語」は昨日(2021年8月23日)まで、松井ニット技研のホームページに掲載されていました。

松井ニット技研は何度もテレビ、新聞で取り上げられたのでご存知の方も多いと思います。松ニット技研が産み出し続ける色彩あざやかなマフラーやストールの数々は、人の目の強く惹きつけながら、決して下品に陥ることなく、みごとな色のハーモニーを奏でます。現代の「美」を追究することを宿命づけられた織都桐生のシンボルと言っても言いすぎではありません。

ところが、2020年12月25日、松井ニット技研の中核だった松井智司社長が身罷られました。享年82歳。智司社長は、経営者であり、独自の工夫でラッセル編み機を操る職人であるだけでなく、「日本のミッソーニ」とも称された色彩のデザイナーでした。ユーザーに愛され続けた数多くのマフラーは智司社長の優れたセンスなしには生まれませんでした。筆者が深く敬愛した人で、早すぎる死が悼まれてなりません。

大黒柱であった智司社長を失った松井ニット技研は事業の縮小を余儀なくされ、その一環として、「松井ニット物語」をホームページから削除する決断をされました。やむを得ざる決断でしょう。

実は、「松井ニット物語」を智司社長に頼まれて書いたのは筆者です。

「これからはストーリーでモノを売る時代です」

というのが、常に経営に前向きに取り組まれた智司社長の依頼の弁でした。そのために、松井ニットのストーリーを書いて欲しい。喜んで引き受けさせていただき、毎週のようにインタビューを繰り返して執筆しました。

しかし、『松井ニット物語』が消え去るのは惜しい、と筆者が考えたのは、自分の原稿への愛着だけが理由ではありません。智司社長を亡くしたとはいえ、松井ニット技研のマフラーやストールが桐生でデザインされ、編まれ、世界中で愛されたことは桐生の誇りです。であれば、「きりゅう自慢」の1つとして、このページに移し、これからも皆様に読んでいただいた方がいいのではないか?

アンカーの川口貴志社長はかつて、

「『きりゅう自慢』に松井ニットさんを取り上げていただきたい」

とおっしゃったことがあります。しかし、筆者はすでに「松井ニット物語」を書き進めていたため、

「同じ話を2つにかき分けるのは難しい。いずれ試みるかも知れないが、今はかんべんして欲しい」

とお断りしました。その経緯もあり、今回川口社長に、

「『きりゅう自慢』に『松井ニット物語』をそのまま移したい」

とお願いしたところ、たいへん有難く、誇りに感じますと、二つ返事で快諾をいただきました。

その旨を、智司社長の後を継がれた松井敏夫社長にお話ししたところ、たいそう喜んでいただきました。

以上の経緯で、2021年8月24日、「松井ニット物語」全編をここで公開します。

ほかの「きりゅう自慢」同様、ご愛読いただけるようお願いします。

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