【大東プリーツの技】
きっかけは面白半分だった。だが、プリーツ機からたまたま出てきた柄は、何年もプリーツ加工をしてきたプロの目に新鮮に映った。
「なんか面白いな、って思ったんです。見たこともない柄が出来ていたんで」
まだ熱ムラが取れていないプリーツ機が産み出した柄は、佐藤さんがコントロールしたものではない。いわば、人の手が及んでいない世界から突然出てきたものだ。このプリーツ機、いったいどんな力を秘めているんだ?
それから毎回、工場にある不要な生地を熱取りに使うようになった。何度も繰り返すうち、
「これは商品になりそうだ!」
という柄がプリーツ機から出てきた。
「この縦のプリーツに、こんな横のプリーツを組み合わせたら……」
試行錯誤が続いた。数十回も繰り返しているうちに、あの、アラベスクのようなプリーツ柄「エスニック・プリーツ」が少しずつ形になってきた。2015、6年のことである。
だが、佐藤さんは一点ものの美術品を作る芸術家ではない。量産を原則としたプリーツ加工業の経営者である。たまたまプリーツ機の加熱装置に熱ムラがある「不安定」な間に素晴らしい柄が生まれただけでは自己満足は出来ても仕事にはならない。同じ柄を安定してできるようにならないと商品には出来ないのでる。
プリーツ機が勝手に産み出した柄を、自分のコントロール下で量産しなければならない。機械任せの「不安定」を、人の手による「「安定」に変えなければならない。
加熱温度を工夫し、温度感知センサーの数値を何度も変え……。プリーツ機と夜を徹して語り合うような日々が続いた。
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