デザイナーの作り方 片倉洋一さん 第16回 卒業制作

ヤコブで3ヵ月の実習、いや実践を終えてロンドンに戻った片倉さんは、再び勉学の道に戻った。そうこうしているうちに、普通の大学の「卒業論文」にあたる「卒業製作」の準備にかからねばならない時期になった。

片倉さんは、スイスのヤコブにあった、世界でも数台しかないというレーザーカットマシンが気になっていた。あの機械を駆使した卒業製作を作ってみたい。しかし、ヤコブが使わせてくれるだろうか?
思い立ったら行動するのが片倉スタイルである。ヤコブのマーチンに打診してみた。

「あなたの会社の設備で卒業制作をしたい。お願いできませんか?」

マーチンはよほど片倉さんを見込んでいたと見える。二つ返事で引き受けてくれただけではない。会社にある生地は自由に使っていいぞ。ヤコブにある生地とは、わずか1mで2万円も3万円もする高価、高級なものである。そして、レーザーカットマシンのプログラムも、当社の技術者に頼めばいい。君が欲しいテキスタイルを我が社の設備で織るのもかまわない。何でも思い通りにやってくれ。君の卒業制作を全面的に支援する!
破格の厚遇ぶりだった。

「半年ほど、月に1〜2回はヤコブに行きました。渡航費? 格安航空券です。現地ではマーチンが自宅に泊めてくれたりもしたので、滞在費もそれほどかかりませんでした。ヤコブではなまったドイツ語が公用語になっていて、コミュニケーションが難しかったのですが、ええ、そこは何とか気合いで」

    片倉さんの卒業制作

片倉さんの作品は、2枚の色違いの生地にレーザーカットマシンで穴をあけ、その穴からもうひとつの生地を引っ張り出すという大胆なものだった。

「自分でも驚いたのですが、それが、最高ランクの評価を受けまして」

自分にはデッサンができない。デザイナー志望者が全世界から集まっているチェルシー・カレッジでの勉強について行けるか、と一時は不安に駆られて落ち込んだことは前に書いた。それが、わずか3年のうちに、早くからみっちりデッサンの研修を積んできて片倉さんに劣等感を持たせた同級生たちを抑えてトップに立ったのである。

「あの作品は、学長の部屋に飾られることになりました。いまでも飾ってあるんじゃないですか。あの作品、カレッジが買い上げてくれたのだったかな? それとも寄贈したことになっているんだっけ? それに、ロンドンのタブロイド紙が私の卒業制作を写真付きで紹介してくれてびっくりしました」

2003年6月、卒業。片倉さんは晴れやかな気持ちで日本に戻った。心配をかけたかもしれないが、何とかデザイナー、クリエータの道でやっていける目途が立った。両親に、そう報告するためである。

だが、日本にとどまり続ける気はなかった。ファッションの本場は何といってもヨーロッパである。なかでも、その核はパリだろう。私はパリで自分の腕を試し、磨きたい。
1ヵ月もすると、パリでの仕事を探し始めた。そして、まだ仕事が見付からないまま、9月、成田から飛び立った。目的地はもちろんパリである。

 

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