デザイナーの作り方 片倉洋一さん 第2回 モーダモン会場で

糸だけでできた「珠」が連なったアクセサリー、「000」のスフィアシリーズがデビューしたのは2013年、東京・ビッグサイトで開かれたインテリア・ライフスタイル展だった。
それまで「珠」を刺繍で作るのは無理というのが刺繍界の常識だった。その常識を打ち破った製品に、片倉さんたちは「スフィア(Sphere=球体)」の名前を与えた。誇らしい成果をネーミングに込めたのである。

長い道のりだった。
刺繍は長い間、服の添え物でしかなかった。打掛の豪華な刺繍も、一世を風靡したアーノルド・パーマーの傘の刺繍も、衣服の部分品でしかない。刺繍業という仕事はアパレルメーカーや問屋から来る注文を、注文通りに、あるいは注文主の期待以上に仕上げる「技」の世界だった。

しかし、片倉さんはそれに飽き足りなかった。

「糸でアクセサリーを作れないか? 服の従属物でなく、服と響き合って新しい美を生み出すものができないか?」

片倉さんの脳裏に、そんな思いが湧いたのは2008年、パリで開かれた服飾資材の展示会「モーダモン」の会場だった。「笠盛」は前年から、

「ものづくりは日本。日本の機どころ桐生の、「笠盛」の技術で世界に打って出る!」

   ビップ・プロダクツに選ばれた作品

と、モーダモンへの出展を始めていた。
ほとんど何の準備もなく、おっとり刀で参加した1年目。ケミカル刺繍を大胆に使った「KASAMORI LACE」が、主催者が選ぶ今年の逸品ともいえる「ビップ・プロダクツ」に選ばれる名誉を得た。「ケミカル刺繍」は、「笠盛」の得意技だった。
しかし、残念ながら売上はふるわなかった。2年目のこの年、片倉さんは

「どうしたら売れるものが作れるか」

という課題を抱えて会場を歩き回っていた。

アクセサリーのコーナーだった。目を惹くものがあった。金糸を使った紐状の「KASAMORI LACE」とゴールドチェーンで2重の輪を作ったネックレスである。
それまでアクセサリーでは、糸は宝石や真珠、金、銀を繋ぐための紐でしかなかった。しかし、いま目の前にあるネックレスは、金と「KASAMORI LACE」が美しいハーモニーを奏でている。

このデザイナーには確か、「KASAMORI LACE」を納品した覚えがある。自分たちが作った「KASAMORI LACE」が、思いもつかなかった使われ方をして金のチェーンと響き合っている。

「糸にはこんな使い方もあったのか」

衝撃だった。目が醒めるような思いがした。そうか、だったら刺繍で、糸だけで、アクセサリーが作れるんじゃないか?

その思いは翌2009年のモーダモンから花を咲かせ始める。1年間工夫を加えて、ケミカル刺繍で音符やサークルがつながった紐状に仕上げた「KASAMORI LACE」が大きな注目を浴びたのだ。

そして2010年、「笠盛」のブースにはケミカル刺繍で作ったネックレス、ピアス、ブローチ、ボタンなどが並んだ。嬉しいほど売れただけではない。シャネルに採用された。プラダ、ゴルチエといった超一流のブランドのバイヤーたちも足を止め、手に取って熱心に見入っていった。

一躍注目を浴びて売上を伸ばしたとはいえ、「KASAMORI LACE」は「紐」でしかない。紐でしかない刺繍は、服の一部にあしらうパーツにしか使われない。服と対等で独立し、服とお互いに引き立て合うアクセサリーになるには力不足である。

何が足りないのか? 3次元の立体である。ダイヤモンドもルビーも真珠も、3次元の立体だからアクセサリーに使われる。ダイヤモンドは立体だから、カットの善し悪しが価値を決める。これらがペラペラの平板状だったら、果たしてアクセサリーになっただろうか?

どう考えても「珠」が欲しい。しかし常識は、刺繍で「珠」を作ることができないと教える。どうしたらいいのか?

写真:「000」を生み出すミシンの前で片倉さん

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