片倉さんと岡田さんは、水溶性不織布の上下面に半球を作ることにした。縫い上がった後で不織布を溶かせば「珠」になるはずだ。
何度も繰り返すうちに、やっと「珠」らしきものが姿を現した。だが、まるで算盤玉のようにひしゃげ、地球でいえば赤道部分がとんがっている。
「これは『珠』とはいえないね」
だが、「珠」の原型らしいものはできた。問題は、この出っ張りをどうなくすか、だ。
まず、糸の結び目のような核を作ってみた。あとはケーキのスポンジ部分に生クリームを塗って仕上げるように、この核の周りに糸を重ねればいいのではないか?
0.1㎜単位で、針を落とす場所を変えた。うまく行きそうなこともあった。逆にさらにひしゃげてしまったこともある。
だが、算盤玉は少しずつ「珠」に近づいていった。
次に直面したのが、糸のずれである。刺繍が終わって不織布を湯で溶かしてしまうと、しばしば糸がずれてバラバラになるのである。まるでドミノ倒しのように、1本の糸がずれると次々にずれてしまう。縫う時に何本かが中心からずれてしまい、糸にかかるテンションが不均等になるのが原因らしい。
「説明は難しいですが、アーチ建設の考え方を取り入れました。アーチの円形になった部分は、まず円形の型(「支保工」といいます)の上にレンガを並べていきます。煉瓦は直方体ですから、隙間ができる。その隙間には濡らした砂などを入れます。レンガを並べ終わったら、支保工を取りはずします。すると煉瓦の自重で煉瓦同士がかたくかみ合って安定します。その考え方を応用しました」
アーチ建設の考え方の応用。そういえば、片倉さんは物理も得意な工学部出身者であった。
それでも、なかなか
「できた!」
とはいかなかった。針の落としどころを少し変えたら、針で何回も刺された糸が切れて毛羽が立った。折角ふっくらと仕上がりつつあった「珠」が、最後の瞬間につぶれたこともある。
糸の回し方を何度も変えた。糸のテンションも様々に試した。試行錯誤を続けた。
2013年のインテリア・ライフスタイル展が1ヶ月先に迫った。そこに、糸で「珠」を作ったアクセサリーを出すのが目標である。だがまだ、
「これでいい」
という「珠」はできていない。
そんなある夜のこと。出来上がったばかりの部分見本をルーペで調べていた片倉さんがボソッといった。
「できちゃったねえ」
できた! ではない。できちゃった、であった。恐らく、自分でも半信半疑だったのではないか。
気を取り直してもう一度調べた。毛羽はない。「珠」に目立った歪みはない。まだ算盤玉に近いが、小さな「珠」ならいびつさもそれほど目立たない。これならインテリア・ライフスタイル展に出せる。
上糸と下糸のたった2本の糸が、「珠」が連なったチェーンになった瞬間だった。
岡田さんがルーペを奪い取り、長さ20㎝ほどの部分見本を自分の目で確かめた。
「ほんと、できちゃった」
すぐに笠原社長に知らせた。社長はもう布団に入っていたのか、パジャマ姿で工場に駆けつけて来た。
「うわー、できてるねえ。よかった。助かった。ありがとう、ありがとう!」
刺繍で作った、「珠」のあるアクセサリーのプロトタイプが出来上がった。
写真:ポートレート