上糸が下糸と絡まらないのだから、ミシン針と釜とのリズムが狂っているに違いない。職人さんは故障したミシンの前に座って釜を取り出し、何やらやっていた。修理が終わったのか、職人さんは刺繍を始めた。
「大澤さん、直ったよ」
職人さんは戻っていった。女工さんが縫い始める。
「あ、また目飛びしちゃった!」
直ったはずなのに、やっぱり頻繁に目飛びする。またミシン職人を呼ぶ。その場では正常に戻るのだが、職人さんが戻っていくと、やっぱり目飛びが再発する。おかしい。ミシンがミシン職人に気でも使っているのか?
そのミシンを自分で使ってみた。まず、音が違う。いつもの心地よい音が、どこか汚れているように聞こえる。それに、布地を張った刺繍枠を動かす感じも、何となくしっくりこない。
何故だろう?
そんなことが何度も繰り返された。職人さんに直せないのなら、自力で何とかしなければ仕事にならない。職人さんがミシンの前に座っていると正常に動く。女工さんが座るとダメだ。いったい何が違うのか?
ふと、
「体重かな?」
と思った。どう考えても、ほかに違った条件がないのである。思いつけばやってみる他はない。ミシンの前に座った人の体重で何が変わるのか?
横振りミシンも木製の台の上にミシンが据え付けてある。台は天板と足の骨組みでできており、その間にゴム製のクッションが挟んである。ひょっとしたら、そのゴムが傷んでいて、ミシンを使う人の体重の違いで歪みが出ているのではないか?
大澤さんはゴムのクッションを抜き取ると、代わりにフェルトを挟んでみた。自分でミシンを操作してみる。目飛びは起きない。続けて縫う。それでも目飛びは起きない。女工さんに代わっても目飛びは全く起きなくなった。
「結局ね、水平が狂ってたんですよ。横振りミシンって、すごく敏感な機械なんですね」
次にミシン職人さんが来たときに、目飛びが起きなくなったと話した。職人さんは
「へー、水平が。ずっとこの仕事で飯を食ってるけど、そんなことは思いもしなかったなあ。ショックだよ」
と驚いた。
以来、水準器は大澤さんの必需品である。ミシンの調子が狂うと、この水準器をあてて水平を見る。
「もっとも、いまはiPhoneでやってますけどね。ええ、水準器もまだありますよ」
と大澤さんは笑った。
写真:大澤紀代美さん