ミシンの職人 大澤紀代美さんの3

【修理】
ミシンで最も故障が多いのは釜である。連日働き続けているうちに釜を固定しているネジが緩み、位置がずれる。針とぶつかるようになれば針が折れてしまう。
蓋を開けて釜が見えるようにし、針を慎重に下げながらどの程度ずれているのかを見極め、正しい位置に戻してネジをきつく締めてやる。

釜。鋭い剣先が出ているのが見えますか?

「といえば簡単に聞こえるけど、ミシンってそれぞれクセがあるのよね。多分、使う人の使い方のクセのせいだと思うけど、ミシンによって正しい位置が違うの。ミシン職人さんにはなかなか分からないところね」

針と釜はコンマ数㎜の間隔で動く

釜の剣先が傷つくこともある。剣先とはループ状になっている上糸の中に入って下糸とからませる重要な部分だ。針の下で布地を前後左右に動かしている間に布地が針を1方向に引張ってしまい、剣先とぶつかるためだろう。この剣先が傷つくと、上糸と下糸がうまくからまなくなる。

「だから釜を取り換える? そんなことはしませんよ。私は剣先を目が細かい紙やすりで削るの。金属を紙やすりで削るんだから随分時間はかかるし、小さなところだから指も疲れますよ。でも、私のミシンだからね」

針を固定しているのが針棒

針を固定している針棒もずれる。針が釜とぶつかることがあるからだろう。上に、たまには横にもずれてしまうのだ。

「ほら、大ちゃんのミシンは針穴が散らばってたでしょ。あれは針棒が横にずれてたのね」

ミシンの台が歪む。それは「その1」で書いたが、時にはミシンの重さで床が歪むこともある。そんなときはミシン台の足にゴムやボール紙を挟んで水平を出す。備え付けの水準器が活躍する。

「私が知る限り、そんなことまで気にする職人さんはあまりいないようだけど」

ミシン職人大澤さんの世界は、修理だけではない。ミシンをさらに使いやすくするため、世にはない部品まで作り出した。上糸にテンションをかける装置である。
刺繍糸は中空の棒に円筒形に巻き上げた「チーズ巻き」で流通する。多くの刺繍職人はこの糸を小さなきに巻き直して使う。

「それだとすぐに糸が終わっちゃう。せっかくチーズ巻きにしてあるのだから、そのままで使えばいいのに」

ミシンの上に突き出しているのが大澤さん自作のテンション調整装置

ところが、チーズ巻きのまままで使いにくさが1つだけあった。縫製用ミシンなら上糸の使用量は一定だ。ところが横振りミシンでは針の振り幅によって使う糸の長さが違う。振り幅を広くして急にたくさんの糸を引き出すと、その勢いで余分な糸まで引き出され、からんでしまうのだ。

「だったら、上糸のテンションを調整してやればいいと思って」

大澤さんは手近の材料でテンション調整装置を自作してしまった(写真)。もう、ミシン職人以上である。

【後進へ】
国内繊維産業が衰退し、職人さんは減り続けている。かつては数社あった横振りミシンメーカーもいまや1社だけ。ミシン職人もめっきり減った。

「だからね、これから横振りミシンをやろうというのなら、自分で修理までできなきゃならないと思うの」

いまでも6人の弟子を持つ大澤さんは、刺繍の技だけではなく、横振りミシンについても彼らに教えたい。針の正しい付け方、針と釜の関係、糸調子の整え方……。
大澤刺繍教室は、ミシン職人の養成所でもなければならない。

「でもね、いまは釘も打ったことがない、ドライバーを使ったことがない、って子が結構いるのよ。横振りミシンさえあれば刺繍ができるって思ってるのね」

それがいまの世の中だ、といえばそれまでである。だが、それでは、私が人生をかけた横振り刺繍はいつか途絶えてしまうのではないか? そんな焦りが大澤さんにはある。

だから、大澤さんは弟子たちに、横振りミシンの構造、メンテナンスを教え続ける。

「自分でミシンの面倒を見られないのなら、自分を刺繍職人とは呼ぶな!」

大澤さんはいつもそんなメッセージを発し続けている。

写真:弟子の安海恵理加さんを指導する大澤さん

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