その差別と偏見を跳ね返し、大澤さんは刺繍の価値、刺繍から生まれる美、刺繍職人の技を世の有識者と呼ばれる人々に認めさせ、無視できない芸術としての評価を勝ち取ってきた。刺繍の可能性を作品として目に見えるものにし、刺繍の地平を先頭に立って切り拓いてきた。
「若い頃に、ある人が勝手に私の刺繍を日展に応募したことがあるの。そしたら、落ちちゃったんだって。出来が悪いから落とされる、っていうのならまだ納得できるんだけど、ミシンを使った刺繍なんかは日展が審査する美術品には入らないって門前払いされちゃった。門前払いなのよ。最初は関心なかったけど、結果を聞いて心の底から悔しかったわ。よーし、いつかは見返してやるからね、って一人で誓ったの」
針が左右に動く「横振りミシン」を使って、絵画とも見える刺繍を生み出す技術は日本独自のものである。定説にまではなっていないが、大澤さんが生まれ育った桐生で大正年間に始まったといわれる。手による刺繍に代わって、ミシンで刺繍を大量生産する手段としての導入だった。横振りミシンは生産の合理化、効率化を目指す機械に過ぎなかった。
しかし、初めて横振りミシンを見た大澤さんの目には全く違って見えた。
「これで絵が描けるじゃない!」
それが、華麗な大澤ワールドの出発点だった。わずか17歳の時のことである。
それから、もう60年以上が過ぎた。その間、文字通り横振り刺繍一筋の人生を送ってきた。いや、いまでも
「もっと素敵な作品を生み出したい」
と現役を続けている。
その大澤さんに教えを受け、高度な横振りミシンの技を受け継ぐ職人は全国に数多い。
しばらく大澤ワールドにお付き合いを願う。
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