ミシンの魔術師—大澤紀代美さん 第10回 絵画

当時の大澤家には書生のお兄ちゃんがたくさんいた。

「紀代美ちゃん、上手な絵を描くねえ。絵が好きらしいな。よし、もっと上手になるように僕が教えてやろう」

書生の一人がそんな声をかけてきたのは5歳か6歳の時である。

「多分、東京芸大に通っていた学生さんじゃなかったのかしら」

彼はデッサンの基本を指導した。遠近法の手法も分かりやすく解説した。自然には光があり、光の当たり具合は季節、場所、時間など様々な条件で違うこと、光が当たれば反対側に影ができること、影にもくっきりしたもの、淡いもの、短いもの、長く伸びたものなどそれぞれ違っていること、それをきちんと書き込むことで絵に深みが生まれること……。

「紀代美ちゃん、今日は写生に行こう」

いい季節になると2人で近くの公園や山に出かけ、風景画を描いた。

幼い頃からセミプロ直々の指導を受ける。今でいえば英才教育である。その成果であろう。小学校に入って絵でもらった賞は数え切れない。

「でも、絶対に先生のいう通りには描かないんです。決まり切った型にはめられるのがいやでいやで、私の絵はいつも自己流でした。だからしょっちゅう怒られてましたけどね」

人に何といわれようと、頑として自己の信念を貫く。

怒られないためにはこうした方がいい、自分が得するにはあれをしなくちゃいけない、これをやっちゃダメ、言っちゃダメ。そんな世間風の知恵は、いまでも大澤さんにはない。とにかく自分を信じ、やりたいこと、やらねばならないと思ったことをやる。言いたいこと、言わねばならないと思ったことを言う。

男の子と野球に興じ、ボルトやナットで工作物を作り、先生のいうことも聞かずに自己流の絵を描き続ける。

「紀代美、そんなんじゃ嫁に行けなくなるぞ」

両親に何度たしなめられたか分からない。そんなものなのか、と思いはした。だが、大澤さんが人生のハンドルを親のいう方向に切ることはなかった。

自己流。三つ子の魂は、いまでも大澤さんの中で力強く鼓動を響かせているのである。

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