藤三郎さんは、大澤さんに言わせれば「遊び人」であった。母・朝子さんは遊び人の父に何度も泣かされた。だから幼い大澤さんは藤三郎さんに反発した。
しかし、藤三郎さんは遊ぶだけの人ではなかった。困った人がいると捨てておけず、力を尽くして助けようとする任侠の人でもあった。
「戦争中に桐生は醤油不足になってね。その時父が磯部温泉(群馬県安中市)から温泉の湯を大量に運んでみんなにただで配ったっていうのよ。磯部温泉の湯には塩気があって、それを醤油の変わりにしてもらおうと思ったのね」
藤三郎さんの前に次から次に女性が現れたのも、そんな義侠心が女心をくすぐったのかも知れない。人の出入りが絶えない大澤家の当主藤三郎さんは、文字通り「大将」だったのである。
娘の方の「大将」は、小学生時代から勉強が良くできた。ところが、中学2年になると成績が急落する。学校の勉強を一切しなくなったのだ。
中学2年。自分の人生を真面目に考え始める年代である。
幼い頃から野球選手を夢見る子がいる。バスの運転手さんに憧れる子もいる。末は博士か大臣かと希望を膨らませる子もいただろう。当時の女の子は自分の花嫁姿を思い描く子が多かった。多くの夢や憧れ、希望は現実とぶつかっていつしか消え、現実的な目標に変わり始めるのがこの時期である。
「私、高校に行くのはやめようと思ったの」
こよなく絵が好きな少女は、画家になろうと思った。服飾デザイナーもいいな、と考えた。やがて、絶対どちらかになってやると心を決めた。夢を夢で終わらせることなく、実現してやろうというのである。
大澤さんは考えた。どちらも自分の才能とセンスだけが頼りの仕事だ。学歴なんて全く役にたたない。だから高校に進むのは時間の無駄遣いにすぎない。高校に進まないのなら、七面倒くさい勉強をする必要はない。
そう決めると、ひたすら絵を描いた。服飾デザインも手がけ、幼い時から母に仕込まれていた裁縫の腕を生かして服を縫った。
いつしか卒業の時期になり、子分たちは高校へ、勤め先へと散っていった。大澤さんは自宅にとどまって絵を、デザインを描き続けた。自分は夢に向かってまっしぐらに進んでいるのだと思い込んでいた。