日本の伝統的な技術の世界では、技は教わるものではなく盗むものである。大澤さんが踏み出した世界も、技は先輩の作業を見ながら盗むものだった。
毎日が格闘だった。絵心はあるはずなのに、ミシンの針先から思ったような刺繍が生まれない。線が乱れ、先輩と同じ糸を使っているはずなのに思った色が出ない。何だ、この虎。目が死んでるじゃない。いったい先輩たちはどんな縫い方をしているのか?
だが、誰も教えてはくれない。
毎朝6時に作業場に出て部屋とミシンの手入れを続けながら先輩たちの仕事ぶりを注意深く観察し、大澤さんは技を盗んだ。盗んだ技を改良し続けた。
見よう見まねから始めて半月、やっと商品になりそうな刺繍が縫い上がった。1ヶ月もすると、先輩の作品にも劣らない出来になった。先輩たちは、自分の縫ったものを大澤さんに見せなくなった。追いつかれた、競争相手になったと認められたらしい。
「それで、2ヶ月たったら、先輩たちを抜いちゃってたのね」
1日に仕上げる枚数で首位に立った。
みなと同じ絵柄を縫っても
「大澤さんが縫ったヤツは何か違うよねえ」
と評価されるようになった。
「だって、努力しましたモン」
毎朝6時に職場に出る大澤さんが帰宅するのは毎晩10時を過ぎてからだった。皆が帰ってガランとした作業場で一人ミシンを相手に格闘し、一段落すれば作業場の最後の掃除して鍵を閉める。
思うような刺繍が出来なかった日は、
「どこが悪かったのか?」
と思案しながら家路につく。それから夕食、浴を済ませて床に入る。日付変更線はとうに越えてしまっている。
後で母・朝子さんがいった。
「紀代美ちゃん、あなた、昨日の夜もうなされながら手と足を動かしていたわよ」
大澤さんは夢の中でも横振りミシンと格闘していた。