ミシンの魔術師—大澤紀代美さん 第13回 20時間

休みは月に1、2回。毎日の睡眠時間は4時間前後。1日20時間近くも刺繍に取り組んでいたことになる。上達しないわけがない。

「それに」

と大澤さんはいう。

子供の頃から絵に熱中してきた。デッサンの基本も絵柄の作り方も画学生に仕込まれて身についている。他の女工さんは多分、絵を描いたことはあっても学んだことはない。指示された絵柄を刺繍するだけで精一杯で、自分のセンスを生かしてよりよい刺繍画に仕上げようという意欲も能力も考えも薄い。それまで大澤さんに勝っていたのは、横振りミシンの操作法だけだったといえる。ミシンの操作に慣れた大澤さんのライバルではなかった。

加えて、人のいうことを聞かない頑なな性格が大澤さんの持ち味だ。同じ絵柄を縫っても、人と同じ仕上がりになるのが許せない。私はほかの人と違うという強烈な自負心が大澤さんから離れない。

「虎の目を生きたものにするには糸の方向をどうしたらいいのか、糸と糸をどう重ねたらギラリとした虎の目の光を表現できるのか、悩み、考え、工夫し、試し、また悩み、という連続でしたから。とにかく、刺繍が楽しくてしょうがなかったのね。だから出来たんじゃないかしら。あ、刺繍の面白さは今でも変わらないわよ」

最初の数ヶ月は「見習い」の立場である。無給で仕事を教えてもらう期間だった。が、職場で一番多く縫い、一番仕上がりの良い刺繍を縫うようになってしばらくすると、給料が出始めた。

「母は意外だったでしょうね。だって、すぐに飽きると思っていたらしいから」

最初の給料は自宅の神棚に備え、何とかお金をもらえる仕事が出来たことを感謝した。そのあとは、

「確か、母にあげたんじゃなかったかな」

お金が欲しくて仕事を覚えたのではない。自分の進む道はこれだと確信したから身を投じたのである。

自分で稼いだ金だから自分で使う、自分で貯めるなどという思いはみじんもなかった。やっと自分の人生が見つかった、いま確かな道を歩き始めたという喜びだけがあった。

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