キム・ノヴァクから始めた肖像画は年間3、4枚のペースで縫い続けた。第3回で書いたように、日を追って注文は増え、肖像刺繍作家としての名は上がってきた。
それでも、気持ちが荒むのを止めることは出来なかった。
「多分、父との対立、だったのだと思うわ」
藤三郎さんは作家ではない。あくまで有能な経営者である。社員である娘が刺繍の肖像画を縫うことは認め、営業で売り込みもしたが、会社の利益の多くは、注文を受けて仕上げる刺繍にある。
「紀代美、肖像画ばかりにかまけてないで、取ってきた注文をさっさと仕上げろ」
何度も叱責を受けた。
「私がやりたいのは、どこにでもある刺繍じゃない。私にしかできない作品を縫いたいのよ」
言い方は変わっても中身は変わらない言い合いを何度繰り返したろう。
確かに、理は父にある。会社である以上、まず利益を出さねばならない。いつも引っ込むのは大澤さんだった。
晴れない気持ちのままミシンの前に座り、注文の刺繍を始める。嫌々だから身が入らない。時間がかかり、仕上がりもピリッとしない。
「これ、失敗作だわ。明日縫い直そう」
そう思って作業場に放り出していた刺繍を、藤三郎さんが勝手に注文主に届けるようになった。納期が来たのだろう、とは頭で理解できるが、
「あんな失敗作を客に渡すなんて」
とプライドが傷つき、憤懣がたまる。一段と気持ちが荒む。
「何だかすべてがいやになって仕事を放り出し始めたんです」