32歳。父が亡くなり、会社がなくなり、家も土地もなくなった。大澤さんを取り巻く世の中がガラガラと音を立てて一変した。
金融機関、かつての取引先、出入りの大工から御用聞きまで、債権者は容赦なかった。先を争うように家にずかずか上がり込み、金目のものを漁った。
それが資本主義の世の中ではあるのだろう。だが、大澤さんの目には周りがハイエナばかりに見えた。
「そんなに欲しいんならくれてやる。全部持っていけ。どうせ私がつくった財産じゃないんだ。勝手にしろ!」
近くに4部屋がある2階建ての家を借り、母と2で人引っ越した。しばらくたつと母・朝子さんがボソッと言った。
「小さな家って、こんなに楽だとは思わなかったわ」
意外な言葉に、母の顔をのぞき込んだ。嘘を言っているのではない。落ちぶれた暮らしを卑下しているのでもない。顔から力みが消えた優しい表情がそこにあった。
「そうか、人の出入りで息つく暇もなかった前の家は母の戦場だったんだ」
失ったものの大きさは身にしみたが、何だかホッとした。
だが、ホッとしても一文なしである。これからどうする?
やっぱり、答えは刺繍しかなかった。私の刺繍で、腕一本で母との暮らしを支えてみせる。
なけなしの金をかき集めて横振りミシンを1台買った。翌1973年夏のことだ。日本製のGOLD QUEENだった。手入れをし、改造をし、今でも使っている愛機である。
仕事はあった。大澤さんの刺繍の腕を評価する注文主はまだまだ多かったのだ。スカジャンや打ち掛けの刺繍である。
「小さな家に越して喜んでいるとはいえ、母は庶民の暮らしを知らないんですよ。お嬢様から奥様になってそのまま生きてきた人ですから」
母・朝子さんに不自由のない暮らしをさせる。そのためには仕事のえり好みなんかしてはいられない。気が向こうが向くまいが、仕事は何でも引き受ける。
大澤さんは一心不乱にミシンと取り組み始めた。
二つも重なった不幸から自分の力で抜け出す。大澤さんはそう心に誓ったのである。刺繍を続けていけば、豊かでなくとも、母と2人の落ち着いた暮らしが取り戻すはずだった。