ところが、3つ目の不幸が追い打ちをかけた。
仕事がやっと順調に回り始めた9月半ばだった。
「なんだか歪むんですよね、見たものが。だからちゃんと仕上げたはずなのに、仕上がった刺繍を見ると図柄が歪んでるの」
おかしいな。昨日仕事をしすぎたから目がおかしくなったのかな? 軽い気持ちで、片目ずつ覆ってみた。左目を覆う。目に見える映像に歪みはない。
「そうだよね。正常だよ」
右目を覆った。
「あれっ?」
視野の中心が真っ黒だった。周囲はボンヤリと見えているが中心部には何の映像もない。黒い穴が空いている。いったい何が起きたんだ?
驚いて近所の眼科に駆け込んだ。
「先生、左目がおかしいんですけど」
しばらく大澤さんの目をのぞき込んでいた眼科医の表情が厳しくなった。
「大澤さん、紹介状を書くからすぐに群馬大学病院に行きなさい。一刻を争います」
大澤さんは人が10色しか見いだせないところに12色を見る特殊な目を持っている。大澤さんの作品を支える才能の一つだ。注文を受けての刺繍にはそこまでの能力は不要だが、目がおかしくなればその注文仕事すら出来なくなる。
取るものもとりあえず、前橋市の群馬大学病院に駆け込んだ。担当はドイツ留学から戻ったばかりという若い医師だった。
「うーん、これは難しい眼病です。精密検査をしなければはっきりしたことはいえません」
その日から入院した。2週間、検査漬けの日々が続いた。診断が出たのは1ヶ月ほどたってからである。
「あなたの左目は、網膜炎という病気にかかっています。鏡から裏側の錫がはげて像が写らなくなった状態みたいなものです。8万人に一人しか発病しない珍しい病気で、残念ながら治療法は確立していません。それでも、早く処置をすれば何とか失明を免れたケースもありますが、遅れると失明は避けられません。悪くすると右目も……」
失明。心臓にナイフを突き立てるような言葉だった。
「先生、目が見えないと仕事が出来ません。何とか私の目を助けて下さい」
その日から治療が始まった。