ミシンの魔術師—大澤紀代美さん 第2回 日中の架け橋

ミシンの前に座るまでに、注文を受けて1ヶ月ほどが過ぎ去っていた。何度も写真を見て、自分なりの周恩来像を作り上げるのにこれだけの時間がかかった。だが、作業に入ると早い。40cm×50cmほどの肖像刺繍を仕上げるのにかかったのは2週間ほどである。

手に入った写真は、すべて白黒。だから、色は自分の想像力に任せた。

「服は人民服だから苦労はなかったですけどね」

出来上がった肖像刺繍を父の藤三郎さんが届けに行った。届け先は地元選出の衆議院議員、長谷川四郎(1905—1986。自民党、衆議院副議長)さんだという。どうやら、藤三郎さんは代金を受け取らずに寄付してしまったらしいが、それはいいとして、何故、長谷川さんが周恩来総理の肖像刺繍を?

「何でも、藤山愛一郎さんが中国に行くらしい。その土産を何にしようかと長谷川さんが相談を受けた。そこで長谷川さんがお前の刺繍を推薦した、ということらしい」

だとすると、あの刺繍は中国に渡ることになるのか。でも本当かなあ。もっといい土産が見つかったといって、私の肖像刺繍はお蔵入りになるんじゃないかしら。

その時は、それ以上の関心は持たなかった。

それから2ヶ月ほどたった頃、藤山愛一郎氏から一通の手紙が来た。

「中国から貴女へのお土産があります。お渡ししたいので赤坂のホテル・ニュージャパンにおいでいただきたい」

突然の呼び出しに驚きながら、しかし相手は外務大臣を務めたこともある大物である。病で寝込んでいた父を残し、母と2人、指定の場所に出向いた。

「やあ、あなたが大澤さんですか」

とにこやかに歩み寄った藤山氏は

「これは、大澤さんの肖像刺繍への、周恩来総理からのお返しです。総理は大変喜んでおられました」

と額に入った刺繍を手渡した。中国独特の両面刺繍という手法で縫い上げられた刺繍だった。6号(約40cm×30cmほど)の大きさで、タンポポの綿毛を吹く女の子が縫い上げられている。

  
(藤山愛一郎氏から中国土産の両面刺繍を受け取る大澤さん=右から2人目。右端は母朝子さん)

中国に、表からだけでなく裏側からも鑑賞できる刺繍の技法があることは知っていた。目の粗い生地の1本1本の糸に刺繍糸を絡めてつくる。手作業でしかできない技だから1枚仕上げるのに膨大な時間がかかる。

「こんな貴重なものを私への返礼に用意していただくなんて、周恩来さんって職人の気持ちが分かる人なんだと嬉しかったですね。もちろん、大変名誉に感じましたよ」

それから数ヶ月たった9月25日、当時の総理大臣田中角栄氏が現職の総理としては初めて北京を訪れ、周恩来国務院総理と数回の会談を重ねたた。両総理が「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(日中共同声明)に署名したのは29日のことである。開かずのドアが開いた瞬間だった。

「とすると、藤山さんは日中国交正常化に向けて動き始めた田中首相の露払いとして中国においでになったんですね」

すべてはあとで知ったことである。
では、私が丹精込めて縫い上げた周恩来首相の肖像が、少しは日中国交回復の役にたったのかな? そんな疑問を抱くこともあるが、誰も答えは出してくれない。

「あの後ね、実はミシンで両面刺繍が出来ないか、って挑んでみたんですよ。上糸と下糸を同じ色の糸にしたらできるんじゃないかって。でも、ダメだった。やっぱり手でしかできないんですね。あれから中国も変わってしまったから、あんなに時間がかかる両面刺繍をやれる職人はいまで残っているのかなあ。残っていて欲しいですね」

名誉は感じたが、やっぱり関心は技に行ってしまう。大澤紀代美さんは根っからの刺繍職人なのである。

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