「肖像画を刺繍してみようかな」
ふと思いついたのは19歳の時だった。後に詳しく触れるが、この時大澤さんはすでに父藤三郎さんを社長にいただいて会社を興していた。事業は順調で、従業員を数十人抱えて毎日朝6時から午前1時、2時まで仕事に追われ、自由に使える時間なんてほとんどなかったころである。
それでも、時間を盗むようにしてミシンに向かった。注文主のいいなりに縫う刺繍では満たされない思いがあったからだ。
自分の「作品」を縫いたい。創りたい。
子供の頃から絵が好きで、画家になりたいと思った時期もあった。だから、刺繍の仕事を始めてからも、仕事にどれほど追われようと、少し時間が空くと絵筆を握っていた。まだ少女だったからだろうか。女優の絵が多かった。その絵筆を横振りミシンに取り替えたらどうなるだろう?
大澤さんは研究心が旺盛である。
最初に挑んだのは、キム・ノヴァク(Kim Novak)である。チェコ系アメリカ人。アルフレッド・ヒッチコック監督の「めまい」、ジャズピアニスト、エディ・デューチンの生涯を描いた「愛情物語」などで妖艶な美貌をふりまいた。
「あの人のクールな感じが好きでね」
中学生の頃から映画にはまり、毎週2本は見ていた。
雑誌のグラビア写真を見ながら想を練った。
「ポイントは、まず『目』よ」
西洋人の目の色は様々だ。キム・ノヴァクは透き通るような深い緑色の瞳を持つ。
「その色が、光の当たり方で変わるのよね。その変わり方は絵では絶対に出せないの。でも刺繍なら出来る、糸の方向、重ね方を工夫すると光の当たり具合でいろいろな色が出るのが刺繍なんです」
次は髪だ。彼女の髪は薄い金髪、英語ではDyed Blondeという。
「あの色だとウェーブが実にみごとに決まるのよ。日本人の黒髪ではあの感じは絶対に出ないわ」
髪には流れる方向がある。1本1本の髪の流れを刺繍糸で出す。髪も光の当たり方で違った色合いを見せるから、糸の重ね方にも工夫を凝らす。
別にお金になる仕事にしようと思って始めた肖像刺繍ではなかった。大澤さんにとっては、新しい横振り刺繍の技法を編み出すこと、自分が創りたい刺繍を生み出すことが目的だったのだ。肖像画を選んだのは、趣味を絡ませた方が楽しいに違いないと考えたに過ぎない。
時間を盗むようにして肖像刺繍の制作を続けた。一人一人違うモデルの、生の人間性までが見えるようにしたい……。