ミシンの魔術師—大澤紀代美さん 第5回 プレタポルテ

いま振り返れば、1970年代代はプレタポルテ(高級既製服)の隆盛期だった。

プレタポルテの語源は、英語でready to wearを意味するフランス語である。それまで既製服は「コンフェクション」と呼び習わされていたが、どうしても「安かろう、悪かろう」のイメージがつきまとっていた。それを払拭しようと1949年、フランスの既製服メーカーが使い出したといわれる。

60年代にはピエール・カルダン、イヴ・サンローランなど、オートクチュール(注文服)の世界を代表するデザイナーがセカンドラインとしてプレタポルテを扱い始め、70年代にはプレタポルテがモードを牽引するようになった。

そして70年代のの隆盛期、ソニア・リキエルらと並んでプレタポルテを先導した一人に、女性デザイナー、エマニュエル・カーンがいた。モデルとしてファッションの世界に入り、1964年、初めてプレタポルテの個展を開いた彼女は、プレタポルテ時代を切り拓いた先駆者でもある。

「大澤さん、フランスの仕事があるのですが、やってみませんか?」

突然声をかけてきたのは、カーンに極東を任されているという、東京在住のデザイナーだった。彼は話を続けた。

カーンはカットワーク(刺繍をした布の内側を切り抜いてレース模様をつくる手法)を大胆に取り入れた服を作る。ヨーロッパ向けの刺繍は、刺繍の第一人者、フランシス・ルサージュに頼む。だが、ヨーロッパと極東では暮らしの習慣が違う。ヨーロッパでプレタポルテを身につける人は電車などには乗らず、運転手付きの車で移動する人ばかりだから大胆なカットを使っても服が傷むことはないが、極東、特に日本ではプレタポルテを着た人が平気で混み合った電車に乗る。大胆なカットワークではよじれたり、悪くすると破れたりする。だから同じカットワークは使えない。極東の生活習慣にあったカットワークが出来る人、ルサージュに匹敵するカットワークが出来る人を捜していた……。

連絡してきたデザイナーが何故自分を知っているのか。大澤さんには分からなかった。しかし、エマニュエル・カーンといえば日本の富裕な人たちが飛びつくように買っている高級ブランドである。そのブランドのもとで、あのルサージュと世界を二分する仕事をする。断るのはもったいない話だ。
それが最初に頭に浮かんだことだった。

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