ミシンの魔術師—大澤紀代美さん 第5回 プレタポルテ

それに、素晴らしいカットワークが手に入らなければ、カーンのプレタポルテデザインが完成しないはずだ。わざわざ私を指名してきたのだから、私がつくった刺繍を充分に調べたのだろう。その上で

「大澤なら任せられる」

と判断したのに違いない。エマニュエル・カーンの目には

「西のルサージュ、東の大澤」

と写っていたのに違いない。
喜んで引き受けた。世界の超一流といわれるデザイナーと仕事をしたのはこの時が初めてだった。1978年ごろのことである。

仕事は順調に進み、次々に注文が来た。手間のかかる仕事で、一人では裁ききれない量に膨らんだ。簡単な作業は他の刺繍屋さんに頼んだが、技術が必要な部分は自分でやるしかない。

カーンとの共同作業は6、7年続いた。終わったのは、カットワークブームが去ったからだった。

「あの仕事は本当に勉強になりました。それに、後にルサージュさんにパリで会ったのですが、他人は絶対に自分の工房には入れないという伝説を持つ彼が、何故か私には工房だけでなく、制作現場をすべて見せてくれました。一緒にカーンの仕事をしたという仲間意識があったんでしょうかねえ」

世界の超一流デザイナーと仕事をするということは、ファッション業界での注目度が上がることでもある。大澤さんにはたくさんのデザイナーから依頼が押し寄せるようになった。ハナエモリブランドのオートクチュールで知られる森英恵さん、ウエディング・ドレスのデザインで頭角を現し、日本初のブライダル専門店を開いた桂由美さんはその一部だ。

「でも、そのほとんどはお断りするしかありませんでした。とにかく、裁ききれないぐらい次から次への仕事が舞い込んでいましたから」

気がついたら、大澤さんはデザイナーたちに頼られる刺繍職人になっていた。

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