ミシンの魔術師—大澤紀代美さん 第6回 デザイナーたち

山本寛斎さんは、数人の弟子を伴って桐生の大澤工房を訪れた。1990年のことである。

「大澤さんの作品を見せていただきたくてやってきました」

見終わると、山本さんはいった。

「お力を貸していただけないでしょうか」

聞くと、次のパリコレクションで一か八かの賭をしたいのだという。おそらく思わぬスランプに陥り、出口を求めてあえいでいた時期なのだろう。

賭けるのはデザイナーとしての自分のキャリアである。賭に勝つにはいまの自分の最高の作品を出さねばならない。刺繍を使ったジャケットにしたいと思って刺繍職人を捜しているが、

「私の感性に合うものを縫ってくれる人が見つからないのです。いま作品を見せていただいて、大澤さんならきっと素晴らしい刺繍をして下さると確信しました。お願いします」

これほど懇願されて断る勇気を大澤さんは持ち合わせていない。引き受けましょう。ただし、一つだけ条件があります。

「これまでお付き合いのあった刺繍職人とはきちんと話して下さい。私は、他の人から仕事を横取りしたといわれるのはいやです」

 

 

 

  (山本寛斎さんと大澤さん)

 

 

 


やがて、山本さんのデザインが出来上がった。キリスト教の聖者を描くことが多いイコンを模したスケッチである。

「これをどんな刺繍にしたいの?」

と聞く大澤さんに、山本さんは答えた。

「砂漠の砂に埋もれている黄金の彫刻をブッタ切ったもの。あとはお任せします」

分かったような分からないような、不思議なコンセプトである。だが、山本さんはそれ以上の言葉を持ち合わせていなかった。ヒントはこれしかない。大澤さんは必死で考えた。黄金ねえ。それなら金糸がいるわ。それも、日本の金糸のような、奥深い光り方をする金糸ではイメージが合わない。アメリカ産の、とにかくキラキラ光る金糸を取り寄せよう……。

やがて、

「ああ、今頃パリコレが開かれているんだな。あの作品も出ているんだなあ」

そんな思いに駆られていた大澤さんに、パリから国際電話が入った。受話器を取ると、山本寛斎さんの声が飛び出してきた。はずんでいる。

「大澤さん、やりました! 大成功です!! ありがとうございます」

デザイナーたちと様々な仕事に取り組んできた。中には、山本さんのように、摩訶不思議な言葉でしかイメージを表現できない人もいた。それを刺繍に仕上げるには、当然苦労が伴った。

「でもね、私、やって本当によかったと思ってる。私を発見してもらえたし、知らない世界に連れて行ってもらえた。私の世界が広がりました」

いまもデザイナーたちとの仕事は続いている。だが最近になって、大澤さんの胸に不満が積み重なってきた。

「刺繍を知ってるデザイナーが払底しているのよ。刺繍を馬鹿にしているのか、単なる勉強不足なのか。それでよくデザインが出来るわね、っていいたくなることがしばしばなのよ」

いま、一人の若手デザイナーと仕事をしている。

「うーん、仕事をしているというより、仕事を見てやっているといった方がいいかな」

かつては、どんなデザイナーと仕事をしても関係は対等だった。だが、いまや大澤さんが指導する立場に立っている。
The Times They Are A-Changin'、とボブ・ディランは歌った。
時代は常に移り変わっているのである。

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