1976年春、東京・大手町で「国際アート展」が開催された。5、6点の作品を貸し出した大澤さんは、初日にスピーチを頼まれていたので開場前に到着した。
「会場に入ってビックリした。だって私の作品しかないのよ。てっきり、少なくとも数十点の中の一部だろうと思い込んでいたから、唖然としちゃって」
おそらく、いつもはパーティ会場に使われるのだろう。分厚い絨毯が敷き詰められた部屋だった。壁に大澤作品が飾り付けられていたのはもちろんとして、会場の一画に毛氈が敷かれ、茶の湯の準備がしてある。メインとなる刺繍画の前には数竿の琴も並んでいる。
やがてドアが開かれた。しばらくすると、100人ほどの観客で会場が埋まった。3分の1ほどは外国人で、英語やフランス語が飛び交っている。着衣や物腰から判断すると外交官夫人や政治家夫人がほとんどらしい。
毛氈の上では茶会が始まった。メインの刺繍の前からは琴の音が流れ始めた。それが一段落すると、大澤さんのスピーチの時間である。
その場でどんなスピーチをしたのか、今となっては記憶が定かではない。だが、スピーチを終えるとたくさんの質問が飛んできたことは覚えている。
出展した作品は仏像が多かった。
「仏像が多いが、あなたは宗教関係の人か?」
—いえ、特定の宗教の信者ではありません。ただ私は32歳の時に目を患い、いまは左目が見えません。それ以来、何故か仏像に惹かれるようになりました。奈良・京都の寺院めぐりもしました。仏像が多いのは、今の私の心の反映です。
「それにしても、見る者にやさしさが伝わってくる刺繍画だ」
—私の母は、野に咲く花を摘む時も、「ごめんなさいね」と声をかけてから摘む人でした。私もそんな影響を受けているのかも。
「一針一針、手でする刺繍は知っているが、ミシンでこんなに素晴らしい刺繍が出来るとは、日本には素晴らしい技術がある。この技をどうやって身につけたのか?」
—桐生には、こんな技がたくさん息づいているのです。
「結果的に、私が中央で開いた初めての個展になったのよ。それも世界に開かれた個展に。だから記憶ははっきりしていて、主催した財団法人はアジア・アートアソシエーションズ、会場は大手町プレスセンターだと思っていたんだけど、あなたにお話しするのに事前にネットで調べたらどちらも出てこないのよね。記憶が混乱しているのかな。いやーね、年を取るって」