ミシンの魔術師—大澤紀代美さん 第8回  パリ

気楽に引き受けた大澤さんだが、渡仏が迫るとあれこれ考え出した。

「パリですものね。日本から行くんだから、オープニングパーティにはやっぱり和服よね。一番いい訪問着と帯をトランクに詰めて、美容師をしている姪に『一緒に行って』って頼んだんです。着付けしてもらわなきゃいけませんから」

会場はシャンゼリゼ通りにある日本航空のビルだった。初日、着付けを終えて会場にたどり着くと、50人ほどの観客がいた。デザイナー、芸術家、染色関係者、それに新聞記者。彼らと通訳を通じて会話を楽しみ、いくつもの質問に答えて……。

が、あれほど準備をしたにもかかわらず、翌日からは会場には近づかなかった。

「作品なんて、私があれこれ説明するより勝手に見てもらえればいいんです。それに、せっかくのパリですもの。見たいものがたくさんあったんで、自分の個展の会場にいる時間なんてありませんよ」

見たいもの——ルーブル美術館に通った。

「モナリザなんて、私が独占してたんだから」

多くの美術関係者は、パリ滞在をひけらかす。

「私がパリにいた時にね……」

パリの空気を吸った。何故かそれが肩書きと化す
だが、大澤さんにとってのパリ行きは、

「ああ、一仕事終わった」

でしかなかった。持ち帰った感想は、

「本物の美術品がある町よねえ。マンホールの蓋まで、みごとにデザインされていてビックリしたわ」

翌年、現代の名工に選ばれたのは、前に書いたとおりだ。大澤さんは意識しないが、周りはパリでの個展開催を意識しすぎるほど意識したのではなかったか。世の中は、何故かそのように出来上がっているらしい。

2002年、群馬県庁の旧庁舎にあるもとの知事室で、

「大澤紀代美 刺繍展」

が開かれた。県が主宰した個展も初めてなら、旧知事室を使った個展も初めてだった。貸し切りバスで訪れる団体客があった。羽田空港から群馬県庁に直行してきた、と会場で大澤さんに語る人も数多かった。どれもこれも、前代未聞だった。

大澤さんの誇りは、だが、そんなところにはない。

大澤さんの誇りは、展示会場で大澤さんの作品を支えていたイーゼルにある。観客は誰も気がつかなかったかも知れないが、すべて、大澤さんが5年間講師を務めた群馬県中小企業技術研修セミナーの生徒たちが、県主催の大澤さんの個展を知って作ってくれたのだ。

「なんか、みんなして私を盛りたててくれたのよね。嬉しくて……」

そのイーゼルを、大澤さんは今でも大事に使っている。

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