一徹 喜多織物工場の3

教科書、織機の取扱説明書と首っ引きで織機をセットした。うまく行かない。織機を調整する。1mはうまく行ったが、その後は急に織り傷が増えた。何処がおかしいんだ?
夜、布団に入っても目が冴えて眠れない。頭の中は紗織りだらけである。明日はあの部分を変えてみよう。それで駄目なら、あそこにも手を入れて……。
なかなか寝付けなかった。それでも翌朝朝6時には工場に立った。

2ヶ月ほどで広幅の紗織りを安定させた時には、傷が入った生地が山になっていた。

「もったいないけど、失敗作は全部捨てちゃった」

苦労に苦労の連続。それなのに喜多さんは、紗織りにのめり込んでいく。

「面白いんだよ。俺が工夫すればするほど生地が応えてくれる。奥が深いんだ」

喜多織物工場の食器には喜多さん手製の木造部品がおびただしく取り付けられている。

最初の注文をこなすと、もっといい紗織り、絽織りができるよう織機の改造を始めた。改造パーツは手製で、全て木である。鉄で出来た織機に、自作の木製パーツをあちこちに取り付けた。

「木の方が加工しやすいからね。鉄と組み合わせるところに木製パーツを取り付けると、木がすり減るから駄目だ、ってみんないうんだが、実際にすり減るのは金属の方なんだ。自分ではやらないから分からないんだな」

喜多織物工場の紗織り、絽織りは目に見えて品質が上がった。それに並行して紗織り、絽織の注文が増えた。1995年、喜多さんは紗織り専業を宣言した。
それからも織機の改造は続き、いま喜多織物工場にあるのは、世界の何処にもない、もじり織り専用に改造された織機である。

【喜多ワールド】
もじり織りという技を極限にまで磨いたように見える喜多さんに、2つの質問をぶつけてみた。

——専業になったときと今と比べると、紗織り、絽織の品質は上がっていますか?

即座に答が戻ってきた。

「昨日はできなかったことが今日はできた、今日はスムーズに行かなかったことが、明日はスンナリいく。それが楽しくて仕事をしてる俺は、いつまでたっても発展途上人なんだよ。うん、あの頃と比べると、今の方がはるかにましな生地を織れていると思うよ」

——ライバルはいますか?

「ライバル? ライバルは自分さ。いつも自分と闘って明日を目指すんだ」

喜多織物工場の8台の織機は、4台が出荷製品用、4台が研究用である。もっといい紗織り、絽織りを織りたい。
喜多ワールドは前進を続ける。

写真:喜多さんが高校時代に使った教科書。いまでも参考にし続けている。もうボロボロだ。

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