昭和6年(1931年)11月の生まれである。もう引退して悠々自適を決め込んでも、誰も文句を言わない年齢になった。だが、小黒さんはいまだに槌を置かない。店の横に作った鍛冶場に毎日入って包丁や鉈(なた)、鎌などを鍛え続ける。
「小黒さんが打ってくれたヤツじゃなくっちゃ仕事にならない」
と客が毎日のように来る。遠くから電話での注文も入る。板前、彫刻家、植木屋、山仕事をする人、農家、はては小さな部品を作ってくれという自動車メーカーまでの客たちが小黒さんを休ませない。
経済産業省が指定する伝統工芸品は、産地を守り育成するのが狙いである。桐生は織物の産地ではあるが、刃物の産地ではない。だから、小黒さんの刃物は国の伝統工芸品にはなれない。
産地で修行を積めば、経産省が伝統工芸士の肩書きをくれるが、刃物産地ではない桐生で鍛冶職人を続ける小黒さんは候補にすら挙がらない。持っている肩書きは、「群馬県ふるさと伝統工芸士」だけである。国の伝統工芸士に比べれば格落ちだ。
だが、小黒さんが鍛えた刃物は、国の伝統工芸士たちの刃物に比べても、勝ることはあっても劣ることはない。「格落ち」は腕の差ではない。小黒さんが桐生にいるため、制度がそのようにできているため、に過ぎないのである。
これから、小黒さんをご紹介していく。