「だけどね」
と小黒さん。時には、こんな客もある。
調理師風の男性が店に入ってきた。小黒さんの包丁を熱心に見ていた。棚から出してやると、食い入るように見つめる。
「いい包丁ですね」
聞くと、東京の料亭で修行中だという。
「ここに来ると、いい包丁があると聞いたもんで」
見ていると、
「でも、安いですよねえ」
なんでも、いまの師匠は、刃物産地でできたブランド品の包丁を使っているという。師匠の刺身包丁は10万円では買えない価格がついている。でも、小黒さんの刺身包丁値札は7万円には届かない。
「うーん、いいと思うんだけどなあ……。でも、師匠は○○の包丁を使っているし、板前で○○の包丁を持っていると一人前と見られるし、やっぱりあれにしようかなあ」
迷いに迷った彼は、結局買わずに店を出た。
「安くちゃいけないのかなあ。だって、できるだけ多くの人に使ってほしいからこの値段にしてるんだけどねえ」
小黒さんの包丁は、全国に通用するブランド品ではない。ブランド品は伝統工芸士がいる刃物産地にしかない。ブランド志向、高い方がいいはずだという価格信仰が、最高の刃物を求めるはずのプロの間にも根強くはびこっているのも、残念な現実である。
鍛接から鍛え上げた自分の包丁が、ブランド産地の包丁に切れ味や長切れで劣っているとは思わない。だから、そんな客が帰った後はは少し寂しくなる。
「堺や越後三条の包丁と同じような値段にしたらもっと売れるのかもしれないけどね」
だが、小黒さんは値札を書き換えない。ブランドや値札ではなく、切れ味と長切れをちゃんと分かって買ってくれる人たちの役に立つのが私の仕事だ。野鍛冶とは、刃物を使う職人さんたちを陰で支える仕事なのだ。ブランドなどいらない。
それが小黒さんの誇りである。
そんな小黒さんの刃物のいくつかをご紹介する。