中には、焼き入れに鉛を使うところもある。780℃まで加熱して液状になった鉛の中に鋼を突っ込んで温度を上げる。鉛の温度は温度計で見張ることができるから、これなら、加熱しすぎも、不十分な加熱もあり得ない。誰でも、間違いなく適温まで上げることができる。上げすぎることはない。
「やってみたこともあるんだが、これもなんか違う。どうしてか分からないけど、出来上がると『違うなあ。これ、俺の刃物じゃねえや』って感じるんだよねえ」
加熱した鋼は急冷しなければならない。この冷却剤に水を使うか、それとも油にするか、人によってやり方が違う。また、冷やすといっても闇雲に冷やせばいいのではなく、冷却剤にも適温がある。
かつてはこの適温は、秘中の秘とされていた。
小黒さんはどちらも使う。今は油がほとんどだ。白紙と呼ばれる、炭素分がやや多い鋼を使ったときは水で急冷するが、そのまま水につけたのでは急に熱されてできた気泡が鋼を取り囲み、熱が伝わりにくくなって急冷できない。だから、鋼に砥の粉を塗って水に入れる。こうすると気泡ができずに急冷できるのだ。
が、小黒さんは白紙をあまり使わない。だから使うのはほとんど油である。水を使ったこともあるが、油の方が客のの評判がいいともいう。
では、油の適温は
「特にねえ……」
特別な温度管理はしていない。ただ、油が
「サラサラになっていればいいんだよ」
油は温度が下がると粘度が増す。ちょっとべたつくなあ、と感じたときは不要な鉄を熱して油に入れて温度を上げる。サラサラになったら、小黒さんの「適温」なのだ。
焼き入れが済んだ鉈は、もう一度研ぐ。最後に刃を付けるのである。回る砥石で形を整え、あとは手仕事で中砥、仕上げ砥と進んで一丁上がりだ。
小黒金物店で、これだけの工程を経てきた小黒さんの鉈は1万円前後である。工業品だと2000円、3000円で買えるものもある。小黒さんの鉈は高いのか安いのか。
店にいたら、鋤(すき)を修理してくれという客が来た。7,8年使って刃がすり減ったのだという。
「量販店で買えば、修理代で新しいものを買えるでしょう?」
と聞いてみた。
「あ、ありゃあダメ。5,6回使ったら曲がって使えなくなる。小黒さんのヤツじゃなくちゃ、本当には使えねえんだ」
本当に仕事をする人は、小黒さんの刃物を求めるのである。