何より驚いたのは、充さんの、大げさに言えば芸術性だった。仕事の手が空くと、火事場に入って一人で作業をしている。
「はて、いまやらなきゃいけない注文はないはずだが」
といぶかっていると、鍛冶場を出てきた充さんの手に握られている物があった。
「何だい、それ?」
自在鉤があった。タイトルの下のアイキャッチ画像を見ていただきたい。
それから充さんはいろいろなものを作るようになった。
一輪挿しがあった。
いろいろな形をしたペーパーナイフがあった。
ほれぼれするようなナイフがあった。ケースも鞘も自作である。
立派な包丁も打てるようになっていた。
これは置物である。
文鎮もあった。
モビールというのか、天井からぶら下げる飾りもあった。
充さんは刃物だけでは飽きたらず、鉄を使った造形作家の道を模索していたのだ。小黒さんの目には、どれもみごとなできだった。
「この子が立派に後を継いでくれる」
それまでにも増して、仕事が楽しくなった。充さんと一緒に鍛冶場に立つと全身に力がみなぎった。
不幸というのは幸福の絶頂期に襲ってくるのかも知れない。病名は心筋梗塞。充さんが突然帰らぬ人となったのである。1999年のことだ。44歳。いくら何でも早すぎる死だった。
「なんで手順を間違えちゃったかねえ。手順を間違えるといい刃物はできなんだが……。親より子が先に逝くって、手順の間違いだよね」
それでも仕事の手は休めない。喪が明けると小黒さんは、いつものように鍛冶場に入った。お客さんが注文の仕上がりを待っている。くよくよしている暇はない。それに、身体を動かしていた方が気が紛れる。
だが、鍛冶場はこんなにガランとしていたんだ、と感じたのは初めてだった。
いま、小黒金物店には充さんの作品が数多く並んでいる。
「小黒さん、これいいね。ここの曲がり具合が何ともいえない。これ、ほしいんだが、いくら?」
時々、そんな客がいる。だが、小黒さんは丁重に断り続ける。充さんが亡くなってからは、充さんの作品は絶対に売らない。
「はい、これは充です。絶対に手放しません。でも、できるだけ多くの人に見てほしくてね。充という鍛冶職人は、こんなにいい仕事をしてたんだって、一人でも多くの人に知ってほしくてねえ……」