「幅1㎝じゃつまらないな。それに、チェーンが1列だというもの物足りない」
何度か試作しているうちに、チェーンを編み込む理屈は解った。あとは、その理屈を発展させて、より幅広のものを編み、列を増やすだけである。いくつか試作してみた。幅は5㎝まではすぐに出来た。チェーンが梯子状になった列を4列編み込んだものもうまく行った。
見通しが付いた。次はチェーンの仕入れである。小売店で買ってきたのでは高くて採算に合わないからだ。知人の伝手をたどって発注した。問題にぶつかったのは、その直後だった。
DIY店で買った短いチェーンを編み込んでいる間は手で持って編み機に送り込めばよかった。しかし、次の試作でチェーンを長くしてみるととたんに不具合が起きた。糸に比べて金属製のチェーンははるかに重量がある。その重みでチェーンが後ろに引っ張られ、仕上がりが歪むのである。
すでに本格生産に入るために大量のチェーンを発注してしまった。困った。
「発注したチェーンが届くまでの1週間、必死で考えましたよ。でも、思いついちゃうんですね、何とか。はい、チェーンをうまく送り出し、テンションを調整する装置を編み機のそばに作ってチェーンの到着を待ちました」
——しかし、そんな特殊な装置を、どうやったら思いつけるんですか?
思わず、筆者の口をついて出た質問である。
「考えているうちにね、何となく、こうしたら出来るじゃないかって、ふっと浮かんだんです。私、ほら、織機も編み機も知ってるでしょ。そんな経験知から出て来たんじゃないですかね」
考えて見れば、職人の技とは知恵と工夫が積み重なったものである。生み出したいものがいまの装置で出来ないのなら、装置に自分で手を加えてでも作りだしてやる! そんな先人がたくさんいたから、桐生は織都と呼ばれる街、繊維に関するあらゆる技術が集積した街になったのに違いない。金子さんもそんな職人の街の歴史を正しく受け継ぐ1人でなのある。
話を持ち込んだ東京の客は、出来上がったチェーンを織り込んだテープを大量に買ってくれた。
それだけではない。ジャケットの裾に使いたい。スカートの裾を飾る。胸の飾りにしたい。ヘアバンドにする。和服の帯に仕立てる。何処で知ったのか解らないが、様々ところから注文が舞い込み始めた。
ついには、年間100億円を売り上げるというビッグブランドや海外勢からも注文が飛び込み始めた。
チェーンを編み込んだ編み物は、トシテックス最大のヒット作になった。
写真:金子さんが産み出したチェーンを編み込んだ商品の数々