JR桐生駅南にある生花店「花清」。店舗奥にある事務室のスチールラックに沢山の盾やトロフィーが雑然と置いてある。「花清」3代目の近藤創(はじめ)さんが、いくつものフラワーデザインコンテストで獲得したものだ。その奥の方、多くの盾やトロフィーに埋もれるように、やや立派なトロフィーがひっそりとあった。銘板に
第31回(社)日花協秋田大会
全日本選手権
内閣総理大臣賞
と刻んである。
内閣総理大臣賞、が目にとまった。優勝したのか? 興味を惹かれ、
「これは?」
と問うと、
「ああ、それは29歳の時にもらったもので。はい、私が優勝してもらいました」
近藤さんは何事でもないように淡々と答えた。あちこちのコンテストで常勝に近い成績を残している近藤さんにすれば、特筆するほどの価値はないということか。
日花協=社団法人日本生花商協会は毎年1回、フラワーデザインの全国選手権大会を開いている。開催場所は都道府県持ち回りで、第31回は1985年2月、秋田市で開催された。
このコンテストは甲子園方式をとる。各都道府県で予選が行われ、勝ち抜いた代表が出場して日本一を目指す。つまり選りすぐりの実力者揃いなのだ。この大会での優勝は、フラワーデザインを志す人たちにとって、喉から手が出るほど欲しい栄冠である。それだけでなく、生花店を営む人は優勝すれば宣伝効果で店の売上増にもつながる。技と感性を磨き続け、内閣総理大臣賞を目指して何度も挑戦を繰り返す人も多い。
当時、最も権威があるといわれたこの大会を、近藤さんは何と初出場、弱冠29歳で制した。日本一のフラワーデザイン・アーティストになった。
日本一の座。だが、近藤さんが自分で目指したのではなかった。
この年、群馬県では予選が開かれていない。秋田大会開催の前年秋、群馬県生花商協会の幹部から
「近藤さん、あんたが出てくれないか」
と頼まれ、
「出てみようか」
と思って出てみただけである。
学生時代以来、近藤さんは関東・東海花の展覧会、群馬県の展覧会、東京のフラワーデザイン教室の大会など、多くのコンテストで上位入賞を続けていた。だから
「予選会を開くまでもなく、県内に彼以上の実力者はいない」
と判断されたのか。それとも、当時の群馬県はフラワーデザインの後進地で、県予選を開いても参加者はあまりいないと判断されたのか、今になってはわからない。
フラワーデザインコンテストの最高峰への挑戦である。いくつもの大会で上位入賞を続けていたとはいえ、大会の規模が違う。
「でも、緊張は全くしませんでした。そもそも頼まれての出場だから上位入賞を狙う気はありませんでしたから。ただ、恥だけはかきたくないなあ、と」
だから、力みはなかった。それでも、恥をかかないだけの準備はしなければならない。
出ることは決めた。さて、どんな作品を作ればいいのだろう?
想を練り始めて1週間ほどたっていたと記憶する。何の気なしに事務所にあった事務用品のカタログを繰っていた。ふと目がとまる商品があった。透明なアクリル製の円筒である。
「その瞬間にアイデアが浮かんだんです。ボトルシップ、ってご存知ですか? ガラス瓶の中に船を組み立てるヤツです。このアクリルボックスを使って、ボトルシップのような作品ができないか、って」
アイデアの端緒はつかんだ。あとはそのアイデアを煮詰めなければならない。
アクリルのボックスは円筒ではなく、1辺が20㎝、高さ60㎝ほどの四角柱がいい。側面に四角形の穴をいくつかあけ、同じアクリルの板で棚を作ろう。中には吸水性のスポンジを入れて花を固定する。外にも何か欲しい。アクリル筒の中の華やかさと響き合うもの。そう、枯れた世界が欲しい。まさか流木を使うわけにはいかないだろうが……。
近藤さんのアイデアが少しずつ形を成し始めた。
写真:総理大臣賞のトロフィーを持つ近藤さん