すっかり回り道をした。しかし、急がば回れ。背景をご理解いただくには避けられない回り道だった。これでようやくにして、超撥水風呂敷「ながれ」に戻ることができる。
朝倉染布が「ながれ」を売り出したのは2006年のことである。
染色加工という仕事は「下請け」の色彩が濃い。仕事のほとんどは、長年付き合ってきた繊維メーカー、アパレルメーカーから来る。発注の量も時期も全て相手任せだから工場が仕事に追われたかと思うと、暇で暇で仕方がない時期が続く。それが周年行事である。景気の波にも翻弄されてしまう。快適にサーフィンを楽しむなど、夢の夢でしかない。
それでも、
「最高の品質で染色加工をする」(朝倉剛太郎社長)
創業以来、それが朝倉染布のモットーであり、誇りでもあった。だが、誇りだけでは会社の存続はおぼつかない。
脱下請け。下請けから抜け出すことが出来れば会社の経営は安定するのではないか。そんなぼんやりした思いが幹部や従業員にいつ頃から芽生え始めたのか。いまとなってははっきりしないが、具体化したきっかけは取引先の「夜逃げ」事件だった。
毎月の発注量が、30万円から50万円程度の小さな会社だった。ところが半年ほど前から急に染色加工の発注量が増えた。
「景気がいいのかな?」
と喜んでいた。ところが支払いが滞り始めた。発注量が増えたあと、手形の支払も2回延ばされた。
「変だな」
とは思っていた。だが、長年の取引先である。経営者の夜逃げは想定外だった。その「想定外」が現実になった。取りはぐれた加工賃は約300万円。代わりに、ひと山ほどもある加工済みの水着生地が朝倉染布に残った。
ここに置いておいても意味がない生地である。朝倉染布はその生地を、「夜逃げ会社」が納めることになっていた会社に持ち込んだ。予定していた生地が入ってこなくて困っていたその会社は、喜んで引き取ってくれた。