「そんな赤ちゃんを救い出してやろう」
と考えた人たちがいた。日本経済を大混乱に陥れた石油危機の影響がまだ残る1970年代後半のことである。
当時のおむつカバーの問題は何か? おしめは濡れる。そのままにしておけば水分が外に染みだし、ベッドや布団を濡らす。この水分を封じ込めるためには水を通さない素材を使うしかない。それがビニールやゴムだった。
確かに、ビニールやゴムには防水性がある。しかし、水を通さない素材は、同時に空気も遮断してしまう。だから赤ちゃんの体温でおしっこやうんちに含まれる水分やアンモニアが蒸発し、ビニールやゴムでおむつカバーの中に閉じ込められ、赤ちゃんの肌を攻撃する。敏感な赤ちゃんの肌に湿疹が出来がちなのはそのためである。
必要は発明の母である。また、必要とされるものを生み出すのはビジネスの王道でもある。
「だったら、水は通さず、空気や蒸気は通す素材でおむつカバーを作ればいいではないか」
と思いついた人たちがいた。
(写真説明)
撥水加工された布の上を水玉が転がる。
こんな生地を、赤ちゃんのために創り出したいと考えた人たちがいた。
「そういう生地を創り出したい。協力してもらえないか?」
朝倉染布に声をかけてきたのは、東レだった。
数ある同業他社の中から選び出されたのである。否という返答があるはずはない。
撥水加工の技術開発が始まった。