突然だが、話が少し遡る。
1959年、米国のデュポン社が「奇跡の糸・スパンデックス」を世に出した。1000万ドルの開発費と15年の歳月を費やして生み出したといわれる、伸びる糸、である。商品名を「ライクラ」といった。
糸は伸びない。だから繊維に伸縮性を与えるには編み方を工夫するしかない。それが常識だった。だが、糸自体が伸び縮みすれば、デザインも製法も、出来上がった製品の品質もまったく変わる。スパンデックスは、キャッチフレーズが決して大げさではない、言葉通りの奇跡の糸だった。
朝倉染布が奇跡の糸の研究を始めたのはそれからわずか2年後、1961年夏のことだった。この糸でできた製品が日本で売りだされるずっと前である。デュポン社との合弁で「奇跡の糸」の国内生産を計画していた東洋レーヨン(現・東レ)の商品研究所が共同研究を呼びかけてきたのだ。
基礎研究が終わって1966年、合弁会社の東レ・デュポン社が誕生してスパンデックスの国内生産が始まった。研究のパートナーだった朝倉染布は、この糸の染色加工の技術開発を頼まれた。
糸は布に仕上げ、染色加工をしなければ消費者の手に渡る製品にはならない。すでに世にある糸なら、最適な染色加工法は確立している。だが、スパンデックスは生まれたばかりである。染色加工法をゼロから作り上げなければならない。
染色加工とは化学反応を起こすことだ。だから、染色加工の仕方次第では糸の性質が変わり、能力を殺してしまうこともある。
問題は染色だけではない。伸び縮みする奇跡の糸は敏感な糸でもあった。染色加工の前処理工程でどの程度の力で引っ張り、何度の熱風で乾燥させるかで仕上がりがまったく変わってしまうのである。