朝倉染布第7回 奇跡の糸

最初の目標は、この伸び縮みする糸で女性用下着を作ることだった。魔法の糸で女性用の下着を作ることができれば素晴らしい、肌へのフィット感が格段に上がるに違いないと、下着メーカーのワコールが関心を持った。

初対面の相手となじむには、それなりの時間がかかる。奇跡の糸も同じだ。どう加工すれば満足できる色、風合い、耐久性を引き出すことができるのか。手探りの試行錯誤が続いた。デュポン社からも技術者指導者がわざわざやってきた。だが、彼らの言う通りに加工をしても女性用の肌着に使える仕上がりにならない。奇跡の糸を創り出したデュポン社も、この糸とはまだなじみの関係には、まだなれていなかったのだ。
技術者同士、食事も忘れて怒鳴りあいに近い激論を交わした。何度も試作に取り組んだ。それでもうまくいかない。

行き詰まったら原点に戻る。朝倉染布の技術陣は、改めて欧州の染色加工技術を学び直しながら、社内で培ってきた独自技術を再点検した。これとあれを組み合わせてみたらどうだろう、いや組み合わせはこちらの方がいい……。この難物を何とかなだめ、やっと満足できる製品にできるまでには4年もの歳月がかかった。

 (現在のスパンデックス加工工程)

朝倉染布は、みごとにスパンデックス染色加工のパイオニアになった。パイオニアとは、解決不可能とも思える課題に挑戦し、道を切り拓く人々のことをいう。

スパンデックスは消費者に歓迎され、需要は次々と膨らんで国内市場で確固たる地位を築いた。外国からも注目され始め、1970年ごろにはソ連向け輸出も盛んになった。加工を一手に引き受ける朝倉染布は活況を迎えた。

この技術開発の苦労が、朝倉染布のもう一つの独自技術、撥水加工と結びついて「水泳日本」を支えるのは、少し先のことである。

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