注文主は、アウトドア用品を輸入・販売する東京の会社だった。この会社が扱うアメリカのブランド「MYSTERY RANCH」のノベルティを作りたい。あれこれ考えたが、手ぬぐいにしようと思う。それを平賢で染めていただきたい。
デザインは持ち込みだった。黒地にオレンジの幾何学模様が入る。そして「MYSTERY RANCH Bozeman MT USA」の文字。1万6000円以上買ってくれた客にこれをプレゼントする。
この会社は全国に30程の店舗を持つ。まさか1枚というわけにも行くまい。話し合った結果、枚数は3000枚になり、予算は2倍近くに増えた。
工賃に平賢の意向が通る。小山さんには初めての経験だった。
試し刷りをする。それをアメリカの「MYSTERY RANCH」メーカーに送る。すぐに
「これでいい」
という返事が届き、本格作業が始まった。
仕上がりは黒地にオレンジだが、染める工程は逆である。まず全体をオレンジに染め、その上に黒を載せる。
「裏まで染め抜けというのが唯一の条件でした。それはいいのですが、始めてみると、文字の部分が滲んでしまう事故が多発しまして」
裏まで染料を染み渡らせるには、染料を水で溶いて柔らかくする。ところが、染料を柔らかくすると、どうしても黒とオレンジの境界部分で黒が滲み出してしまう。
「だから、染料の粘度調整に随分時間をとられまして」
いざ染めに取りかかると、3000枚という量が課題だった。捺染は1枚ずつ染める。つまり、大量生産には向かない。35㎝×90㎝の布の上にシルクスクリーンを乗せ、へらでまずオレンジの染料を延ばし、乾くのを待ってシルクスクリーンを取り換え、黒の染料を延ばす。
「力加減で染め上がりが変わります。力を抜けば裏まで染まらないから、出来るだけ力を入れて、全体が均一になるように染料を延ばしていきます。お蔭で、3000枚が出来上がったとき腕から肩までパンパンに張りまして。腱鞘炎になっちゃったかと」
2021年2月、全量を納品した。店頭に出ると、瞬く間に姿を消した。3000枚の限定生産だったためかコレクター人気も高く、ネットのオークションサイトでは1枚4000円ほどで取引されている。
「でもねえ、何故うちが選ばれたのかなあ」
あとで、桐生高校の後輩が、この会社の知り合いに
「桐生で捺染やってるところがあるよ」
と雑談交じりに話したということを聞いた。だが、たったそれだけの情報で、こんな型破りの注文をする会社があるか?
「うちのホームページぐらいはチェックされたかも知れませんけど……」
しかし、「平賢の捺染」は小山さんの自覚以上に、世の中では高く評価され始めていたのである。
写真:捺染作業をする小山哲平さん